どうも、はちごろうです。
昨日今日とちょっと過ごしやすかったですね。
そろそろ寒いのにも我慢が出来なくなってきたので
ここらでそろそろ春に近づいてほしいです。
では、映画の話。
「ものすごくうるさくで、ありえないほど近い」
9・11以降のNYを舞台にしたジョナサン・サフラン・ショア原作の小説を
「めぐりあう時間たち」のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。
本年度アカデミー賞では作品賞と助演男優賞の2部門ノミネート。
主演はトム・ハンクス、サンドラ・ブロック。マックス・フォン・シドー。
NYに住む少年オスカーは他人と会話をすることが苦手で
アスペルガー症候群の疑いを診断されたことがある。
そんな彼に、宝石店を営む父親トーマスはさまざまな問題を出す。
それはNYにかつてあった6番目の行政区を探すというような。
そんな父との「調査探検」はオスカーにとっては刺激的だった。
だが2001年9月11日、貿易センタービルにテロ事件が起き、
事件当時106階で商談中だった父トーマスは帰らぬ人となった。
それから1年後、母親のリンダとともに暮らしていたオスカーは、
父親のクローゼットにあった青い花瓶をうっかり割ってしまう。
割れた花瓶の中から鍵の入った封筒を見つけたオスカーは、
その鍵に父からのメッセージが隠されていると確信。
封筒に書いてあった「ブラック」という文字を手掛かりに
NY中のブラックという名前の人を訪ね歩くことを始めるのだった。
「あの日」以降の日常
原作は9・11後のNYを舞台にしているということなんですが、
この9・11以降のNY市民の感覚というのは3・11を経験した日本人、
特に実際の被災地以外の市民感覚に通じるものがあると感じました。
どういうことかというと、確かに2011年の3月11日に大震災が起き、
それからの数か月はまさに日本中が非常事態だったわけですが、
実際には甚大な被害を受けた東北三県を除けば
日本中の大多数の地域は半年も経たないうちに
3月11日以前の生活をほぼ取り戻していたわけです。
しかし、物質的には元の水準に戻ったとはいえ、
やはり3月11日以前と以後では根本的な部分で「何か」を失ってしまったというか、
説明しづらい、しかし非常に大きな「何か」が決定的に変わってしまった感覚を
多くの日本人が共有する結果となったわけです。
そうした歴史に残る「あの日」と、「あの日」以降のリアルを描いている点でいえば
この作品はアメリカ人にとっての「あの日」を描いていながら
多くの日本人の共感を生みやすい物語なのではないかと思います。
主人公の存在が体現する作品自体を理解する困難さ
しかし、この作品は主人公である少年オスカーのキャラクターが原因で
単なる感動作として観るには一筋縄ではいかないのです。
主人公のオスカーは適応障害の一種である
アスペルガー症候群の可能性があるという設定で、
主人公自身が対人関係を形成することが苦手なんですね。
例えば自分の母親に対して、「あの日以来、お母さんは心ここにあらずだ。
こんなことならお母さんが死ねばよかったんだ」と言ったり、
向かいのマンションに住んでいる祖母の部屋を間借りしている老人に
9・11テロの際に自宅の電話に残っていた父からの留守電を聴かせたりと、
「自分の行動で相手はどんな気持ちになるだろう?」と
他人の気持ちを推し量ることができないわけです。
つまり主人公自身が他人と気持ちを推し量ることが困難だということは
観客自身も主人公の感情を推し量ることが難しいってことなんですね。
でも、そこがアスペルガー症候群を抱える人に対して
周囲の人が直面する難しさだったりするのでしょうけれど。
だから主人公の、当人でも整理できていない感情を、
観客が自主的に推し量っていかないと作品に感情移入しにくいわけです。
そのあたりがこの作品を評価できるかどうかの分かれ目ではないかと思いました。
僕が一番欲しかったもの
この作品を観ていてひとつ思いだした歌がある。
それは2004年に発売された槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」である。
歌詞を全部書くことは控えますが要約するとこんな感じ。
ある日「とても素敵なもの」を拾った僕は
それを僕以上に必要としている人の存在に気づいた。
惜しい気がしたけどその「とても素敵なもの」をその人にあげた僕は、
そんな調子で素敵なものを拾っては自分以上に必要としている人に与え続け、
結局何も見つけられないまま来た道を振り返ると、
僕のあげたものでたくさんの人が嬉しそうに笑っていて、
それこそが僕の一番欲しかったものだと気が付き、
とうとういままでで一番素敵なものを拾うことができた。
この映画もまさにこんな感じなんですよ。
主人公のオスカーは父親のクローゼットで鍵を見つけ、
その鍵に合う鍵穴を探してNY中の人々の会いにいく。
最初はその鍵穴を見つけることで父親に近づこうとしていたわけだけど、
重要なのはその鍵穴を探す過程で誰かと出会うことであり、
結果的には父親が遺した最後の「調査探検」が、
対人関係を形成することが苦手であった少年にとっては
なによりの「必要なもの」だったわけです。
そこまで彼の父親が仕組んだことなのかはわかりませんが
父トーマスがオスカーに遺した愛情の深さ、それを見守る母リンダや祖母、
そして彼の調査に協力してくれた大勢の「ブラックさん」たちの愛情が心に深く残る、
「あの日」を経たことで見えてきた、それでも揺るがない
「とても素敵なもの」の存在を感じさせる作品でした。
昨日今日とちょっと過ごしやすかったですね。
そろそろ寒いのにも我慢が出来なくなってきたので
ここらでそろそろ春に近づいてほしいです。
では、映画の話。
「ものすごくうるさくで、ありえないほど近い」
9・11以降のNYを舞台にしたジョナサン・サフラン・ショア原作の小説を
「めぐりあう時間たち」のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。
本年度アカデミー賞では作品賞と助演男優賞の2部門ノミネート。
主演はトム・ハンクス、サンドラ・ブロック。マックス・フォン・シドー。
NYに住む少年オスカーは他人と会話をすることが苦手で
アスペルガー症候群の疑いを診断されたことがある。
そんな彼に、宝石店を営む父親トーマスはさまざまな問題を出す。
それはNYにかつてあった6番目の行政区を探すというような。
そんな父との「調査探検」はオスカーにとっては刺激的だった。
だが2001年9月11日、貿易センタービルにテロ事件が起き、
事件当時106階で商談中だった父トーマスは帰らぬ人となった。
それから1年後、母親のリンダとともに暮らしていたオスカーは、
父親のクローゼットにあった青い花瓶をうっかり割ってしまう。
割れた花瓶の中から鍵の入った封筒を見つけたオスカーは、
その鍵に父からのメッセージが隠されていると確信。
封筒に書いてあった「ブラック」という文字を手掛かりに
NY中のブラックという名前の人を訪ね歩くことを始めるのだった。
「あの日」以降の日常
原作は9・11後のNYを舞台にしているということなんですが、
この9・11以降のNY市民の感覚というのは3・11を経験した日本人、
特に実際の被災地以外の市民感覚に通じるものがあると感じました。
どういうことかというと、確かに2011年の3月11日に大震災が起き、
それからの数か月はまさに日本中が非常事態だったわけですが、
実際には甚大な被害を受けた東北三県を除けば
日本中の大多数の地域は半年も経たないうちに
3月11日以前の生活をほぼ取り戻していたわけです。
しかし、物質的には元の水準に戻ったとはいえ、
やはり3月11日以前と以後では根本的な部分で「何か」を失ってしまったというか、
説明しづらい、しかし非常に大きな「何か」が決定的に変わってしまった感覚を
多くの日本人が共有する結果となったわけです。
そうした歴史に残る「あの日」と、「あの日」以降のリアルを描いている点でいえば
この作品はアメリカ人にとっての「あの日」を描いていながら
多くの日本人の共感を生みやすい物語なのではないかと思います。
主人公の存在が体現する作品自体を理解する困難さ
しかし、この作品は主人公である少年オスカーのキャラクターが原因で
単なる感動作として観るには一筋縄ではいかないのです。
主人公のオスカーは適応障害の一種である
アスペルガー症候群の可能性があるという設定で、
主人公自身が対人関係を形成することが苦手なんですね。
例えば自分の母親に対して、「あの日以来、お母さんは心ここにあらずだ。
こんなことならお母さんが死ねばよかったんだ」と言ったり、
向かいのマンションに住んでいる祖母の部屋を間借りしている老人に
9・11テロの際に自宅の電話に残っていた父からの留守電を聴かせたりと、
「自分の行動で相手はどんな気持ちになるだろう?」と
他人の気持ちを推し量ることができないわけです。
つまり主人公自身が他人と気持ちを推し量ることが困難だということは
観客自身も主人公の感情を推し量ることが難しいってことなんですね。
でも、そこがアスペルガー症候群を抱える人に対して
周囲の人が直面する難しさだったりするのでしょうけれど。
だから主人公の、当人でも整理できていない感情を、
観客が自主的に推し量っていかないと作品に感情移入しにくいわけです。
そのあたりがこの作品を評価できるかどうかの分かれ目ではないかと思いました。
僕が一番欲しかったもの
この作品を観ていてひとつ思いだした歌がある。
それは2004年に発売された槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」である。
歌詞を全部書くことは控えますが要約するとこんな感じ。
ある日「とても素敵なもの」を拾った僕は
それを僕以上に必要としている人の存在に気づいた。
惜しい気がしたけどその「とても素敵なもの」をその人にあげた僕は、
そんな調子で素敵なものを拾っては自分以上に必要としている人に与え続け、
結局何も見つけられないまま来た道を振り返ると、
僕のあげたものでたくさんの人が嬉しそうに笑っていて、
それこそが僕の一番欲しかったものだと気が付き、
とうとういままでで一番素敵なものを拾うことができた。
この映画もまさにこんな感じなんですよ。
主人公のオスカーは父親のクローゼットで鍵を見つけ、
その鍵に合う鍵穴を探してNY中の人々の会いにいく。
最初はその鍵穴を見つけることで父親に近づこうとしていたわけだけど、
重要なのはその鍵穴を探す過程で誰かと出会うことであり、
結果的には父親が遺した最後の「調査探検」が、
対人関係を形成することが苦手であった少年にとっては
なによりの「必要なもの」だったわけです。
そこまで彼の父親が仕組んだことなのかはわかりませんが
父トーマスがオスカーに遺した愛情の深さ、それを見守る母リンダや祖母、
そして彼の調査に協力してくれた大勢の「ブラックさん」たちの愛情が心に深く残る、
「あの日」を経たことで見えてきた、それでも揺るがない
「とても素敵なもの」の存在を感じさせる作品でした。