どうも、はちごろうです。


ブログのサブタイトルに「映画とラジオと時々日常」と挙げておきながら
ほとんど映画の感想しかUPしていないのですが、
そろそろラジオについて語らなければと思う。
震災以降、ラジオの利便性や重要性が再評価されているが、
非常時以外でもラジオというメディアは実に使えるのである。


ラジオのいいところ、それは「耳で観るメディア」であることだ。
テレビなどの映像メディアに比べるとラジオは音声だけしかないので
伝えられる情報量が少ないのではないかと思われるだろうが、
もちろんそんなことはない。むしろ、ラジオの方が雄弁ですらある。
ラジオから流れる音や、喋り手の声を聴くだけで
中継場所の状況や喋り手の体調、精神状態まできちんとわかるのである。
それはもちろん映像がないことをカバーするために
放送の送り手がさまざまな表現方法を駆使しているからであり、
また受け手であるリスナーも理解しようと想像力を働かせるからである。
その結果、ラジオはテレビや紙媒体と違い、映像がないにもかかわらず
映像メディア以上の情報量を伝えてくれるのである。
例えばラジオの情報番組に政治家が出るとその本性が如実にわかる。
お笑い芸人が本当に面白いかどうかも一発でわかってしまうのだ。


そしてラジオはまた、「リスナーの生活に寄り添うメディア」でもある。
ラジオリスナーはテレビの視聴者と違い、
個々の番組ではなく一つのラジオ局全体を選んで聴く人が多い。
つまり朝はこの局のこの番組を聴き、午後は隣の局のこの番組、
そして夜はまた別の局の番組を・・・というような聴き方ではなく、
特定のチャンネルを合わせたら聴き終わるまでは絶対チャンネルを変えない人が多い。
そうした聴き方をすると、ラジオ番組がさながら時計代わりになってくる。
つまり、「この番組が始まったから、いま朝8時半か」とか、
「このコーナーが始まったから午後3時になった」、
しまいには「このCMが流れたから9時20分ごろだな」というように、
流れてくる番組やパーソナリティ、CMまでもが日々の生活を支えてくれるのである。


それと同時にラジオは「リスナーの心に寄り添うメディア」でもある。
ラジオは音だけのメディアという性質上、
「自分だけに語りかけてくれる」ように感じやすい。
だからパーソナリティと同じ話題を共有することで仲間意識が生まれやすく、
またラジオ番組の多くは視聴者参加型の生放送が多く、その場合は喋りの内容、
つまり喋り手や受け手の本質をリアルタイムでぶつけ合うことにもなるので、
一種の運命共同体的な感覚を共有することができるのである。


テレビに飽きてしまった人、まだラジオがありますよ。
受信機がない人でもパソコンやスマートフォンがあれば、
「radiko」というページに行ったり、またアプリをDLすれば
ネット上でのラジオ番組を聴くことができますよ。
いま、2カ月に一度の聴取率調査週間に突入中なので
どの番組もプレゼントを用意して待ってます。
これを機にラジオに触れてみてはいかがでしょうか?