どうも、はちごろうです。

さっきまでTVで「借りぐらしのアリエッティ」やってましたね。
おそらく今回の放送で初めて見た人たちの中には
「つまんないって評判だったけど、実際見たら面白かった」
なんて感想を書く人もいるかと思うんだけど、
ここ最近のジブリの悪評の大半は前に批判した人の意見が
安易にコピペされてるだけな気もするんだけどね。
ネットで叩かれてるほど最近のジブリは悪くないですよ。
TVで見て後で褒めるくらいなら横着せずに映画館で観なさいって心底思う。
さて、映画の話。

「ハッピーフィート2」

2006年にアカデミー長編アニメーション賞を受賞したアニメ映画の続編。
天才タップダンサーの皇帝ペンギンのマンブルとその仲間たちに危機が迫る。
南極大陸に住む皇帝ペンギンの集落、皇帝ランド。
歌が歌えることがペンギンたちの優劣を決める世界で、
音痴ながらもタップダンスの才能を開花させたペンギン、マンブル。
いまではその才能で群れの連中に一目置かれる存在になり、
群れ一番の歌姫グローリアと結婚した。
しかし二匹の息子、エリックは引っ込み思案で
なぜ歌ったり踊ったりしなければいいのかわからなかった。
マンブルに促されて踊ったダンスが失敗し、
みんなの前で大恥をかいたエリックは友達ともに家出。
マンブルの友人でアデリーペンギンのラモンとともに
彼らの住むアデリーランドに向かった。
そこでエリックたちはスヴェンという鳥に出会う。
空飛ぶペンギンの生き残りを自称する彼にすっかり魅了されたエリックは、
迎えに来たマンブルと群れに戻ることを拒否する。
しかしそんなエリックにスヴェンは「夢はいつか叶うよ」と諭すのだった。
アデリーランドから帰る途中、マンブル達は道に迷ってしまう。
それはまるで道がすっかり変わってしまったかのようだった。
来たときにはなかった氷の一本橋のところで
マンブル達はゾウアザラシの大将、ブライアン親子と鉢合わせになる。
お互い道を譲らずいざこざになっってしまい、ブライアンが氷の裂け目に落ちてしまう。
機転を利かせてブライアンを助け、群れに戻ってきたマンブル達だったが、
皇帝ランドは海からやってきた巨大な氷山と激突し
巨大な氷壁に閉じ込められてしまっていた。



俳優を声優に起用するメリット(ハリウッドの場合)


5年前になるのか、アカデミー賞を獲ったアニメの続編なんだけど、
なんかアメリカでの評判があんまりよくなかったんで
ホントはこの作品はスルーしようと思ってた。
でもやっぱりこの作品を見ておこうと決意したのは
ブラッド・ピットとマット・デイモンが声優として参加しているからだった。
こんなことを書くと「ミーハーなやつだ」と思われるかもしれないが、
ことハリウッドメジャーが製作するアニメ映画に関しては
この判断はむしろ正しいと僕は思っている。
なぜか。それは台詞の録音方法が根本的に違うからである。
日本のTVアニメの場合はアフレコ(アフターレコーディング)といって
出来あがってきた動画に後で俳優が声を乗せるのが一般的なんだけど、
ハリウッド製のアニメの場合は基本的にプレスコ(プレスコアリング)といって
俳優の台詞を先に録音しておいてそれを基にして作画をする。
(まぁ、最近は日本のTVアニメの制作現場でも
 作画が追い付かなくてプレスコに近くなってるみたいだけど)
だから時間的、技術的な制約が無い分、俳優の演技にも制約が無く、
したがって芝居のうまい俳優の演技力を
そのまんまキャラクターに吹き込むことができるのである。
というわけで、もしハリウッドのアニメ映画を観に行く際は、
頑張って字幕版を見た方が賢明だと僕は思っている。
ただの宣伝目的で有名人を起用する日本のアニメ映画とは事情が違うのである。



キャラクターを支える「音楽の力」


さて、この映画、主人公たちが歌い踊るペンギンなんだけど、
使われている音楽はこの作品のために書かれたオリジナルではなく
既存のポップミュージックやロック、ラップなどが使われている。
そしてその曲はどれも登場するキャラクターたちの個性に合わせて
適材適所できちんと使い分けられている。
これが音楽ファン、洋楽ファンにはたまらない絶妙な選曲。
例えばオープニングでグローリアが歌い踊るのが
ジャネット・ジャクソンの「リズムネイション」だったり、
ペンギンたちの物語とは別にコメディリリーフ的に登場する
二匹のオスのオキアミが登場するんだけど、
この二匹の一方がワムの「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」だったりして、
洋楽を知ってる観客にはいろんな意味を読み取ることができて面白い。
そしてクライマックス、巨大な氷河を壊す方法を考え付いた後からの
音楽の使い方は本当に見事だった。
これはもう、ここで説明すればするほど野暮になるので
実際に観に行って体感してくれた方がいいと思う。



テーマの反転に見る米社会の変化


ただこの作品、実は1作目とテーマが正反対な作りになっている。
1作目は音痴だけれどタップダンスの才能を開花させたマンブルが、
数奇な運命をたどった末、結果的に群れの窮地を救うという話で、
「新たな価値観を持つ個人の登場が共同体を救う」というのがテーマだったんだけど、
今回は氷河に閉じ込められた群れを助けるために異なる動物たちが協力する話で、
つまりは「圧倒的な危機の前には個人の力は小さすぎる」という
1作目とは全く正反対のテーマが提示されるわけなんですよ。
おそらくこの、世界の危機を救う存在が「才能を持った個人」ではなく、
「同じ志を持つ大勢の無名の民」というところが
今回アメリカで批判された点なんじゃないかと思う。
だが、この新しいヒーロー像が生まれた背景には、
ここ数年の金融危機で格差が拡大したアメリカで、
「才能のある個人」の成功が社会を変えるという
昔ながらのアメリカンドリームがほぼ不可能になってしまったという事情が
こうした共産主義的ともいえるヒーロー像を生みだした要因なのではないかと思う。

先日発表された米タイム誌の「今年の顔」。
これがまさに「抗議者」という不特定多数の無名の民の総称だった。
日本でも震災以降、政治家や官僚、有識者の無能、無力ぶりが浮き彫りになった半面、
民間人のボランティア行動など、まさに「無名の人々」の力が再確認された年でもあった。
そういった意味でもこの作品は「無名の民の団結力」の必要性を訴えるという、
まさにいまの時代を切り取った作品だったと思う。