どうも、はちごろうです。

今日は一日雨模様、しかも寒いですねぇ。
おそらくこのくらいが平年並みなんだろうけど。
さて、映画の話。

「ステキな金縛り」

テレビ・舞台などで人気の脚本家・三谷幸喜の映画監督5作目。
若くして亡くなった父と同じ弁護士になった宝生エミ。
しかし裁判は勝った試しが無く、先日も車にひかれそうになるなどいいとこなし。
そんな彼女に所属する法律事務所のボス・速水がある案件を持ってくる。
美術品のバイヤー矢部鈴子が殺され、パン屋を営む夫・太郎が逮捕されたのである。
太郎と接見したエミは被告人から自分にはアリバイがあると主張される。
彼は事件当日、自殺を図ろうと山に入ったが死にきれず、
やむなく泊まった旅館で落武者の幽霊に出くわし、
一晩中金縛りに遭っていたというのである。
「嘘をつくならもっとましな嘘をつく」とエミは公判前手続きで彼の無実を主張するが
担当検事・小佐野は「ならば証人として連れてきなさい」と一笑に付される始末。
自ら証拠を調べようと事件当日に太郎が泊まった旅館に向かったエミは、
その夜、就寝中に本当に落武者の幽霊に遭遇してしまう。
その落武者、名前を更科六平衛という北条家に仕えていた武士で
あらぬ疑いをかけられ切腹させられた過去を持っていた。
エミは依頼人の無実を晴らすため六平衛を法廷に連れて行こうとするのだが・・・。



「世界の亀山モデル」


毎週土曜夜9時半からTBSラジオで放送中の人気番組
「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」という番組に
「ザ・シネマハスラー」という映画評論コーナーがあるんだけど、
そのコーナーの中で生まれた名言の一つに「世界の亀山モデル」という言葉がある。
フジテレビの映画製作担当プロデューサー・亀山千広の名にちなんで、
テレビ局が主導してテレビドラマ的な方法論で製作された映画のことを
揶揄する意味で「世界の亀山モデル」と番組内では評しているわけです。
さて、三谷幸喜の映画作品は全てフジテレビが製作を担当しており、
三谷映画はまさにこの「世界の亀山モデル」の見本のような作品ともいえる。



「テレビドラマ的な方法論」とは?


ではこの「世界の亀山モデル=テレビドラマ的な方法論」とは何か?
一言で説明すると「徹底的にわかりやすく作る」ということです。
老若男女、広い世代に理解してもらうことがテレビというメディアの使命であり、
また視聴者も頭を使って自ら考えるような難しい番組を求めていないので、
結果的に一度見ただけで全てが理解できる作品がテレビには並ぶわけです。
具体的に言うと、物語は単純明快かつ荒唐無稽。
登場人物に複雑な背景はないが、なぜか突飛な行動はとる。
出演俳優のキャスティングは演技力よりも知名度重視。
セットもリアリズムよりも一目で金がかかってることがわかることが重要。
撮影はパンフォーカスで画面全てにピントが合っていて、
照明はたとえ夜の暗い部屋という設定だとしても
部屋の中が全て見渡せるくらい明るい。
着ている服も普段着でありながらいつも新品・・・といった具合で、
現代社会を反映しているようでいて現実を反映させた部分はほぼ皆無。
まぁ、徹底して見る者に考えることをさせないような作りになっているわけです。
ところが、映画というものは基本的に「映像を見て観客が考える」メディアなわけです。
余計な描写を極力省き、見えないところ、説明されないところは
観客が想像する余裕を与えてくれるが映画の醍醐味なわけです。
この「方法論の違い」という根本的な部分の違いが、
テレビ局主導の映画が映画ファンに嫌われる要因なわけです。



第一級の茶番劇


では、そうした「テレビドラマ的」な基準でもってこの作品の出来を評論すると、
さすがに三谷さんも五回目の監督作品ということで
この「テレビドラマ的な方法論」というのが板についてきたというか、
過去の作品から比べれば悪くない、むしろ一番いい出来だったとは思う。
「幽霊を裁判の証人として出廷させる」という荒唐無稽な話を
主役を張れる有名俳優がリアリズムを捨て徹底的にデフォルメして演じていたし、
ギャグのシーンも先が読めすぎるくらいベタなものばかり。
過去二作、「THE有頂天ホテル」と「マジックアワー」は
フジテレビの都合で集められた豪華なキャストを持て余している感というか、
使いこなせていない印象があったけれど、
今回はやっと俳優陣をつかいこなす余裕を身につけたように感じました。
ただ、たとえどんなに三谷さんが本作で映像作家として成長したとしても
それはあくまで「テレビドラマの演出家」として成長したに過ぎず、
決して「映画監督」として成長したわけではありません。
だからあくまでこの作品は「良く出来たテレビドラマ」でしかなく、
どこまでいっても「良く出来た映画」ではないのです。

よく、底の浅いバカバカしい物事を「茶番劇」といいますが、
元は歌舞伎用語で、楽屋でお茶の番をしている下手な役者が
手近にある道具などを用いて芝居の真似ごとをしたところからきている。
そう考えると、この作品はさしずめ一流のキャスト・スタッフを集めて作った
「高度に洗練された映画の真似ごと」であり、「第一級の茶番劇」なのである。