どうも、はちごろうです。

今週末から5日ほど、早めの夏休みを取ります。
本当は夏の疲れを取るために家でゴロゴロしていたいんですが、
やりたいこと、やらなくちゃいけないことがたくさんあって、
ゆっくり休んでいられないのが現実です。
さて、映画の話。

「大鹿村騒動記」

長野県に実在する大鹿村で行われる素人歌舞伎の公演を背景に、
そこに住む人々の悲喜こもごもを描くヒューマンドラマ。
主演は本作が遺作となってしまった原田芳雄。
何百年も続く伝統の素人歌舞伎を有する長野県・大鹿村。
村で鹿料理の店を営む一座の看板役者・風祭善は、
18年前に妻・貴子が親友の治と駆け落ちして以来、
一人で料理店を切り盛りしていた。
今年も芝居の季節となり、練習に意欲を見せる善だったが、
メンバーは村に持ち上がった公共事業の是非で対立し、
せっかくの練習にも身が入らないでいた。
そこへ治が貴子を連れて村へ戻ってくる。
貴子は認知症を患い、駆け落ちしたことはもちろん、
治と善の区別もつかない有様だった。
一方、村役場の総務課の美江は村を捨てた昔の男を忘れられず、
一座の女形でバス運転手の一平はそんな彼女を気にする毎日。
そして善が最近店に雇った青年・雷音も人に言えない悩みを抱えていた。



図らずも「遺作」という意味がついてしまった作品


公開直後に主演の原田芳雄さんが肺炎のために急死してしまい、
図らずも「主演俳優の遺作」となってしまった本作。
そういった話題性もあって結構お客さんは入ってました。
(まぁ、入場料が一律1000円だったこともあるんですが)
そして上映中はそこかしこで笑い声が起き、
エンドロールでは拍手が起きるなど
全体的に好意的なムードが漂ってました。
だが当然ながら作っているキャストもスタッフも、もちろん当人だって
「これが原田さんの遺作になる」なんて思ってもいなかったわけで、
僕は「主演俳優の遺作」という要素を一先ず忘れて
もっと冷静に作品を観る必要を感じていました。
場内に漂っていた「死人にムチを打つべからず」というような、
なるべく褒めようって空気はむしろ失礼なのではないかと。



「物語のフラグメント(断片)化」という悪しき風潮


さて、そうした努めてフラットな姿勢で作品を観てみると、
やはりお世辞にもいい出来だとはいえませんでした。
この作品、伝統の素人歌舞伎の公演を中心にして、
そこに関係する村人たちの抱える問題を描くという
群像劇の形を取っているわけです。
この作品で登場するエピソードは大きく分けて4つ。
まずは善と貴子・治の問題、公共事業誘致で対立する歌舞伎の団員の問題、
美江と一平の問題、そして善が雇ったバイトの雷音の問題。
で、これらの問題により伝統の歌舞伎公演が危ぶまれるって話なんですが、
これらの問題のどれもが説明不足で中途半端に見えるんですよ。
善と貴子・治の問題がどうやらまともに決着がついているぐらいで、
あとは全部、提示されるだけで解決させようという気すら見えない。
公共事業に関して対立していた団員達の話もそのまんま。
美江が心を寄せている男がどんな存在かも全く説明されず、
雷音の悩みも唐突に提示されて結局うやむや。
なによりこれらのエピソードを繋ぐための、早い話が作品の土台となる
大鹿歌舞伎そのものの魅力がさっぱり描かれていないので、
クライマックスの歌舞伎公演のシーンも見ていて重みが感じられず、
結果的に村人たちの問題が断片的に散見しているだけで
全体的に見ると一つの大きな物語になってないんですよ。
でもこれは最近の日本映画にはよく見られる傾向ですけどね。
いろんな要素をぶち込み過ぎちゃって
作品全体のバランスが取れてないってのは。



不本意な出来になってしまった「事情」


あと、これはパンフレットに書いてあったんですが、
この作品、撮影期間が2週間しかなかったそうで、
とにかく余計な時間はかけられなかったらしいんですよ。
だからカット割りを少なくして、なるべく固定カメラで、
1シーンをほぼ1発本番で早撮りしていったらしいんですね。
だから全体的にカメラ位置が俳優から遠い所にあるうえに
クローズアップなどもほとんど行われなかったので、
各キャラクターの心情もほとんど伝わってこないんですよ。
しかも前述したように脚本の出来がかなり悪いものだから、
せっかく原田芳雄以下、大楠道代や岸辺一徳、石橋蓮司、
それに松たか子、佐藤浩市、瑛太まで出てるのに
ほとんどの役者が役不足な感じがしました。
ただ、幸か不幸か実力のある俳優が名を連ねていたので
個々のシーン、結果的にはそれなりに見られるようになってるんですよ。
各俳優陣のやり取りできちんと笑いも起きていたくらいですし。
そこがこの作品の評価を鈍らせる一因でもあるわけです。
「全体的な話はいまいちだけど、笑えるところが結構あったから
 それなりに満足した。それでよし!」みたいな。



仮面ライダーの「前座」


まぁ、そもそも製作した東映自体が
それほど期待してなかったんでしょうね。
なにしろ公開期間が3週間しかないうえに、
どこのシネコンも1日2回とかそんな程度の公開規模ですから。
なんかそうした、製作者側が夏の大作映画までのつなぎとして、
言ってみれば「仮面ライダー」の前座として作ったような
そもそもが志の低い作品だったような気がします。
こんなことになるんだったらもっと時間と費用を掛けて、
きちんと作るべきだったのではないかと思います。
いろんな意味で、原田芳雄さんの急死が残念です。

合掌。