どうも、はちごろうです。

先日、仕事をしていたら、点けっぱなしのラジオから
trfの「Boy Meets Girl」が流れてきた。
90年代の小室サウンドの黎明期を象徴する1曲。
ちょうどこの曲が収録されたアルバムを聴きながら
大学時代の友人と一緒に山中湖までキャンプに行ったことを思い出した。

日記にも書いた家財道具大移動を実行した先々週の日曜。
夕方、友人宅に車で向かいながら山下達郎の「トレジャーズ」を聴いた。
いまからもう20年近く前に発表された達郎さんのベストアルバム。
「高気圧ガール」「Get Back in Love」
「風の回廊<コリドー>」「アトムの子」「さよなら夏の日」・・・
どれを聴いてもハズレなしのまさに「ベストアルバム」だった。

僕が大学生だった20年前、
その頃はまだ夏が近づけば様々なアーティストが
夏を意識した曲を毎年リリースしていたように思う。
だが最近、夏を意識した曲があまり作られなくなった。
それ以前に、流行歌から季節感がなくなったように思うのは僕だけだろうか?

そんなことをおぼろげながら考えていたとき、
「間違いだらけの車選び」でおなじみのモータージャーナリスト、
徳大寺有恒さんのインタビューを雑誌で読んだ。
彼曰く、若者の車離れの原因は若者に金が無くなったからではなく、
金が無い中でも買いたいと思わせる魅力的な車を
自動車会社が作らなくなったからだ、というようなことを書いていて、
なぜか非常に腑に落ちたのである。

よくよく考えてみると、こうしたサマーチューンというものは
部屋ではなく、海や山などの行楽地で聴くこと、
またはそうした行楽地への移動中に聴くことを前提に作られていたように思う。
つまり最近サマーチューンがあまり作られなくなった理由は、
金が無いとか、楽しそうに思えないとか、面倒くさいとか様々な理由により、
「車で行楽地に行く」という選択肢そのものが
人々の、特に若者の中から急速に失われてきたからなのではないかと思う。

あの夏の日、車窓から海が見えたときにカーステレオから聴こえてきたあの曲
浜辺をじりじり照りつける太陽に刃向うように流れていたあの曲
夜、花火が上がる夜空を見ながら聴いたあの曲
夏も終わりに近づいたあの日、夕日の沈むたそがれ時に聴いたあの曲

音楽は、時に人の人生に寄り添い、彩り、
そしてそうした記憶を呼び起こす手助けをする。

サマーチューンがなかったら、どうやって夏の記憶をとどめたらいいんだろう?