どうも、はちごろうです。

ここ数日、梅雨だというのに暑いですねぇ。
仕事場はすでに連日30℃を超えております。
それよりも心配なのはいま使っているノートPCが
じんわりと熱を持っていることですが。
さて、映画の話。

「奇跡」

「誰も知らない」「歩いても 歩いても」の是枝裕和監督の最新作。
主演は小学生漫才コンビ「まえだまえだ」。
両親の離婚を機に大阪を離れて別々に暮らすことになった兄弟。
兄の航一は母親とともに実家の鹿児島に移り住み、
弟の龍之介はミュージシャン志望の父親とともに福岡に移った。
再び家族4人で暮らすことを望んでいた航一は
ある日学校でクラスメートのこんなうわさ話を耳にする。
「九州新幹線の始発列車がすれ違う時、
 すごいパワーが出て奇跡が起こるらしい」
航一は家族の修復を願うため、
その瞬間を目撃しようと計画を練るのだが・・・

タイトルにもあるようにこれは「奇跡」の物語。
一般的に「奇跡」をテーマにした作品というのは2種類あって、
ひとつは、例えばUFOが飛来するとか、弱小チームが大金星といった、
万に一つ以下の確率で起こるような現象そのものを見せるものと、
もう一つは「そもそも『奇跡』とは何か?」という
「奇跡」というものの定義を考えさせてくるようなものがある。
この作品は完全に後者で、「奇跡」というのは実はありふれていて、
僕らが過ごす日常の何気ない瞬間一つ一つが
まさに奇跡の瞬間である、ということを訴えてくる作品。

物語の前半はまさにそういった
「ありふれて見えるだろうけれどこれぞ奇跡」という瞬間が続く。
それは主人公の兄弟やそのクラスメート、
互いの家族に訪れる些細な出来事の連続で、
ほとんど話は動かないし、正直退屈ですらある。
だが「何気ない日常は奇跡の連続」というテーマがわかると、
この前半の些細なシーンの積み重ねが心に沁みてくるし、
そうした子供の日常を極限まで自然に撮っていく是枝監督の手腕は、
さすがはドキュメンタリー畑で活躍してきた人だなって感心しました。

ところが後半、子供たちが新幹線がすれ違う瞬間を見るため
計画を練って行動を起こし始めると、
それまで見てきた数々の「日常」シーンがいい出来であるがゆえに、
子供たちの演技力のつたなさだとか、物語の粗さなど、
些細な問題点が必要以上に気になってくる。
例えば、子どもたちはそのすれ違う瞬間を見るために
鹿児島から熊本まで泊りがけで旅行をするんだけど、
この計画があまりにもずさんなわけです。
なにより子供が自分の家を1泊でも空けるとなれば、まず親が心配するはず。
ところがこの作品に出てくる大人は、主人公たちの計画に何も言わない。
というか、彼らの計画を大人が知っているのかすらまともに描かれない。
でまぁ、子供たちが熊本に着いてから、この計画最大のピンチが起こり、
それと対をなすようにこの作品である意味最大の奇跡が起こるんだけど、
この「奇跡」があまりにも都合が良すぎて興ざめもいいとこ。
せっかく自然な日常を積み重ねてきたのに
これだけご都合主義的な展開を持ってこられたら、
せっかくのテーマも一気に説得力が感じられなくなってしまった感じがします。
そもそも「日常の一瞬一瞬が奇跡の連続」というテーマ自体、
ここ数年いろんな作品で取り上げられて目新しくもないし、
物語自体は非常に惜しい出来だったなと思います。


ただ、この物語が特徴的で、なおかつこれこそ奇跡だと思うのは、
作品で描かれる一日が特定されていることである。
つまりこの作品は九州新幹線が全線開業した2011年3月12日の話なわけです。
もちろんこの作品はそれを見越して製作されたわけなんですが、
この前日、日本人と、日本の歴史に深く刻まれる出来事があったわけで、
この日、そしてその前の日が何も起こらなければどんな日だったかってことを
多くの観客は知っているわけです。特に九州の人間ならばなおさら。
そして「ありふれた日常の連続こそが奇跡」という扱っているテーマ自体、
まさに「あの日」以降の日常を生きる我々には
実に説得力があるメッセージになってしまったわけです。
そういった意味でこの作品は、製作者側が意図しない意味を持ってしまった、
図らずも「奇跡」となった作品だなぁと感じました。