どうも、はちごろうです。

先日、仕事上重要な機械が壊れまして、
その日一日仕事になりませんでした。
翌日修理の人が来て無事に直ったんですが、
購入して25年も経つので
そろそろガタがくることも覚悟をしなきゃって感じです。
さて、映画の話。

「さや侍」

お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志の映画監督3作目。
脱藩したかどでお尋ね者となった武士・野見勘十郎。
彼はあるきっかけで刀を捨て、さやだけを腰にさし、
娘のたえとともに逃亡の旅に出たのだが、
とある藩でついに捕らえられてしまう。
捕まった藩の藩主は変わりもので有名で、
捕まえた罪人に「三十日の業」という罰を与えることで有名だった。
「三十日の業」とは、母を亡くして笑うことができなくなった若君のため、
三十日間、一日一回芸を見せなければいけないというもの。
もし笑わせられれば無罪放免。さもなくば切腹というものであった。

90年代からお笑いの最前線にい続ける松本人志。
だが彼と「お笑い」を取り巻く環境はこの20年で劇的に変わった。
それは「松本人志とはどんなお笑い芸人か?」という質問で如実に表すことができる。
そもそも彼はデビュー当時漫才師だったわけだが、
現在彼が漫才をしていたことを知っている人は少ない。
もっと言えば、彼の漫才を見た人はすでにかなり少ない状況である。
で、彼らが全国的な人気を誇るきっかけとなったのは
「ごっつええ感じ」などで見せたシュール系コントであり、
「芸人・松本人志」の信奉者の多くは彼の「コント」が好きなわけである。
だが、「ごっつええ感じ」が終了して今年ですでに14年。
いまや彼がコントを作っていたことを知る若者は少なく、
むしろ「すべらない話」などの「トーク」が本職だと思っている人が多い。
具体的にいえば、モーニング娘。の初期メンバーは間に合ってるけど、
AKB48は確実に松本人志のコントを見ていないわけである。
つまり何が言いたいのかというと、
松本人志という芸人に対して視聴者が要求する笑いが、
世代によってこれほどまでに違っているのである。

さて、4年前に松本人志がついに映画監督デビューを果たす。
出来あがった映画「大日本人」はCGをフルに使った
ヒーローもののパロディのような作品だった。
でまぁ、当然のように賛否両論あったわけです。
「こんな、ごっつでやってたコントみたいなのはTVでやれよ」みたいな。
けど、もうすでに「ごっつ」でやってたレベルのコントは
TVという媒体ではコスト面でも表現規制の面でも出来なくなっていたわけで、
僕は彼は映画という媒体に「行きつくべくして行きついた」ように感じたし、
これからは映画でやりたい笑いを存分にやってってくれれば
全然問題ないよなぁと感じていたんだけど、世間はそうは思わなかったようで
2作目の「しんぼる」はもう総すかんを食ってしまった。

僕は、松本人志は根本的に変わっていないと思っている。
変わってしまったのはむしろ我々観客側であり、
それが洗練なのか劣化なのかはわからないような気がしている。

さて、今回の「さや侍」であるが、この作品を見てふと思いついたのは
北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海。」である。
聴覚障害者の青年がサーフィンに打ち込む姿と、
同じく聴覚障害者の少女との恋愛を描いた作品だったのだが、
どちらも「芸人監督の3作目」。「監督は監督業に専念して作品に出演せず」、
「前2作から作風を変えていること」、「主人公は基本的に喋らない」、
「最初は主人公の行動は周囲の理解を得られないが、次第に賛同者が増えていく」、
「傍らには主人公を見守る女性がいる」、そして「主人公に訪れる結末」など、
実はこの2作品は驚くほど共通点が多い。
パクリだとかそういうことを言っているのではない。
ただ、どんな映画監督も同じジャンルを3回続けて撮ったらさすがに飽きるし、
松本さんも今回メガホンを取ることに慣れてきたというのか、
「笑い」という得意ジャンルで勝負する必要が無くなったというか、
映画製作に対する余裕みたいなものが出来たのかな?とも思った。

物語については、自分が主演していないとはいえ
主人公の勘十郎は明らかに松本人志本人の投影である。
そういった意味では松本監督はウディ・アレンみたいな、
自分の「いま」考えていることを作品にそのままぶつける、
非常にパーソナルな題材を扱う映像作家のように感じる。
「刀を捨てたが、さやだけは捨てられず持ち続けている侍が
笑いを失った子供に笑顔を取り戻すために奮闘する」
それはまさに常識人としてのプライドを一旦捨て、
笑いを与えるためバカを演じる芸人のメタファーそのものである。
そしてそんな勘十郎に最初は呆れ、切腹すら促しながらも、
次第に彼の頑張りを理解し、応援していく娘たえの姿は、
まさに「芸人の家族」、特に「芸人の娘」のそれであろう。

だが、もちろん問題点が無いわけではない。
例えば今回主演を務めたのは野見さんという素人のおじさん。
松本さんが以前コントで起用した縁で主演に抜擢したんだけど、
当然ながらこの人に演技経験はないわけです。
だから作品の中では極力言葉を発していないんだけど、
出来ることなら一言も喋らせずに通してほしかった。
そうしたら野見さんのあまりの棒読み台詞に興ざめすることもなかったし、
最後の展開はもっと盛り上がったと思う。
あと、冒頭で勘十郎を狙う3人の刺客。
彼らはその後、勘十郎が置かれた立場などを説明する役割で
コメディリリーフ的にしばしば登場するんだけど、
ここがあまりにも説明台詞すぎててやはりテンションが下がる。
けど、こうした問題点もまだ技術的に発展途上だからと思いたい。

この作品はお笑い芸人が監督しているがコメディではない。
笑いを取ろうと頑張る男が出てくるが決してコメディではない。
これは人の生き方を黙して語らず、行動で娘に示そうとする男の話であり、
父親・松本人志が自身の娘に宛てて紡いだラブレターである。