どうも、おささです。

今週末、「パイレーツ・オブ・カリビアン4」の公開をもって、
日本の映画界もサマーシーズンに突入といったところでしょうか。
今年は結構粒ぞろいのようで楽しみです。
早速週末、「パイレーツ4」を観てこようと思います。
そこは都内初のIMAX3Dシステムを採用とのこと。
どんなもんなのか、作品よりも楽しみです。
さて、映画の話。

「星を追う子ども」

「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」などのアニメ監督・新海誠の新作。
小さな山間の村に住む小学生の明日菜。
父親を早くに亡くし、看護婦をしている母親は留守がちなため、
明日菜は家事一切を任されていた。
そんな彼女は、村はずれの鉄橋の先にある山の中に
自分だけの秘密基地を持っていた。
放課後になると友達との誘いを断って山に向かい、
高台に登って父親の形見の鉱石ラジオを聴くのが大好きだった。
そんなある日、秘密基地に向かおうとした彼女は
鉄橋の途中で熊よりも大きな怪物に襲われるが、
そこをシュンという名の不思議な少年に助けられる。
彼はアガルタと呼ばれる土地からやってきたといい、
高台で明日菜と過ごしたのち何処かへ消えてしまった。
数日後、鉄橋の下の川でシュンの死体が発見され、
明日菜は悲しみに暮れるのだった。
それからしばらくして、産休に入る明日菜の担任の代わりに
森崎という教員が学校に赴任してくる。
授業で神話の中に登場する地下世界の話を聞いた明日菜は、
その中に出てきた「アガルタ」という地下都市に関心を持ち、
森崎の自宅まで押し掛けて話を聞きに行った。
森崎は「アガルタ」は高度な文明を持った都市で、
そこでは死者を蘇らせることも出来ると言われていると語った。
その後、ふたたび山に向かった明日菜の前に、
シュンと瓜二つの少年シンが現れる。
戸惑う明日菜だったが、そこに迷彩服姿の男たちが現れ、
その少年は明日菜を連れて山の中に逃げ込む。
だが二人は逃げ切れず男たちに捕まってしまう。
迷彩服姿の男たちのリーダーは森崎だった。
彼は亡くなった妻を生き返らせるため、
地下世界アガルタへ行く方法を探していた。
シンはまさにアガルタからやってきたシュンの弟だったのだ。
こうして明日菜は森崎とともにアガルタへ向かうのだが・・・。

最近、新聞で読んだ記事にこういうのがあった。
なんでも20世紀を代表するファンタジー小説というのは
第2次世界大戦中かその直後に書かれたものが多い、と。
つまり優れたファンタジーとは戦争など辛い「現実」を元に書かれるものが多い。
その反面、最近のファンタジーは既存のファンタジー作品を手本にしたものが多い。
だからどこか既視感を覚えてしまう、といったような内容だった。

なんでこんな話を書いたかというと、
この作品がまさに既存のファンタジーの焼き直しというか、
全編スタジオジブリ作品からの影響が色濃く出ていたからである。
まず主人公の明日菜が住む山間の村。
村にはオート三輪が走り、学校は木造。裏には大きな山がある。
そして主人公の明日菜は元気に山を駆け回り、
母親の代わりに家事一切を引き受ける「いい子」。
まさにこれ、「となりのトトロ」の農村とサツキのイメージである。
そして彼女の前に姿を現す少年シュン。
白シャツに黒のズボン姿で病弱。これは「アリエッティ」の翔そっくり。
片や研究結果を記した手帳を読みながら地下都市を歩く森崎は、
「ラピュタ」に出てきたムスカそっくり。メガネもかけてたし。
といったように、とにかく全編ジブリ的なもので埋め尽くされている。
地下都市アガルタに行くとその傾向は一気に高まってきて、
「・・・あぁ、この遺跡の蔦の絡まり方は「ラピュタ」だな。
 シュンの見た目は完全に「ゲド戦記」のアレンみたいだし。
 このあたりの村は「もののけ姫」だな。長老も婆さんだし。
 この夷族って化け物なんか「もののけ」の猩々そのまんまだなぁ。
 この遺跡のらせん階段は「カリオストロの城」かなぁ。
 あ、変な生き物出てきた。いよ!待ってました巨神兵!」って感じだった。

じゃあ、どこもオリジナリティが無いかというとそうでもない。
まず、異世界の舞台を「地下」に設定したこと。
そして新海誠独特の自然の描写、特に空の描写は健在だった。
そして物語自体も、かつて栄華を誇ったものの、
地上の人間たちが持ち込んだ争いにより滅び、
いまや静かな終焉を待つだけの地下世界の中で、
長老たちの諦念に抗い生きることを選ぼうとするシン。
その姿はまさに黄昏を迎えた現代日本で、
それでも生きていかなければいけない若者たちに
希望を与えようとしているようにも感じました。

人間というのは無から有を作り出すことは出来ず、
必ず何かしらからの影響を受けている。
そして、それでもオリジナリティを追求したいと思うのならば、
モチーフを既存の創作物に頼るのではなく
なるべく別のジャンルから引っ張ってくるべきなんだろう。
そしてもし既存の作品からモチーフを借りたとしたら、
そのことを出来るだけ隠すべきだと思う。
そういったことを強く考えさせられる作品でした。

ただ、新海監督がそれまでのミニマムな作品世界から
壮大なスケールの作品を作ってみたいという、
チャレンジ精神は伝わってくるんだけどね。
結果的には、壮大な作品は不向きだったってことが
図らずも証明されてしまった感じですかね。