どうも、はちごろうです。

大型連休真っただ中ですがいかがお過ごしでしょうか?
僕の仕事には「祭日」という概念がないので
一昨日も、昨日も、今日も通常通りに仕事です。
ただ、祭日は仕事の時間が多少短いので
仕事の内容は通常通りとはいえやはり少し違う感じ。
この違和感にこの年になっても、いやこの年だからこそ
慣れないという困った状況です。
さて、映画の話。

「メアリー&マックス」

オーストラリアのアニメーション作家アダム・エリオット監督が
自身の経験をもとに作ったクレイメーションアニメ(粘土アニメ)。
1976年。オーストラリアに住む8歳の少女メアリーは、
おでこに大きなあざがあることで学校でいじめられていました。
「本当の友達が欲しい」と思った彼女は
郵便局にあった住所録から変わった名前の人の住所を選び、
「文通相手になってほしい」と手紙を書いたのでした。
彼女の手紙を受け取ったのは、ニューヨークに住む
マックス・ホロヴィッツという44歳の中年男性でした。
彼は人付き合いが苦手でいつも孤独に暮らしていました。
突然見ず知らずの少女から手紙をもらった彼は、
戸惑いながらも返事を書くことにしました。
こうして20年以上に及ぶ手紙のやり取りが始まったのでした。

アダム・エリオット監督の存在を今回初めて知ったんだけど、
パンフレットを読むと非常に個性的というか、
日本人が考えるアニメーションの常識からは
かなり離れた作品を作る人らしい。
まず彼は日本では珍しいクレイメーション作家、
つまり粘土を使ってアニメーション作品を作る。
セル画を使ったアニメーションが一般的な日本では
それだけでかなり面食らうと思うのだが、
彼の作品が決定的に他の作品と異なるのは
作品に登場する人物の「特徴」である。
彼の作品の中には、脳性まひやトゥレット症候群といった
心や体になんらかの障害を抱えている人が出てくるのである。

メアリーの文通相手のマックスは過食症に不眠症、
不安神経症などを抱えているのだが、
彼はのちにアスペルガー症候群と診断される。
アスペルガー症候群は対人関係を形成する能力が欠如し
社会生活を円滑に送ることができない「病気」で、
「軽度の自閉症」とも言われる医学界でもまだ研究途上の病気である。
今回、監督はこの病気について広く知ってもらうために
この作品を製作したとのことなんだが、
僕はこの作品を観ていて非常に心を揺さぶられたのである。

孤独な少女メアリーとアスペルガー症候群の男性マックス。
彼らがやり取りする手紙の中味は、
例えばメアリーは母親が酒びたりで万引きの常習犯であること、
マックスは自分にだけ見える友達と暮らしていることなど、
多くの人にとっては隠しておきたいような事柄ばかり。
もちろん二人の行動もかなり常識的ではない。
だが、例えばマックスが他人の気持ちを読み取れなかったり、
毎日行うことが何かの理由で出来なくなって戸惑ったり、
特定のことだけに夢中になったりすることは、
程度の差こそあれ誰にでも思い当たる節があることである。
つまり僕は彼ら、特にマックスの中に自分を見たのである。
そしてそれはおそらく一番見たくなかった自分なのである。

人々の個性が尊重されるようになった一方、
世間が規定する「常識」の幅が狭くなってきた世の中で、
「常識的な生き方」を維持し続けることの息苦しさ。
「社会的弱者の人権を尊重しよう」と声高に叫ぶ一方で、
自分の周囲からは社会的弱者を排除したがる偽善。
または自分が社会的弱者になることに対する恐怖心。
他人と同じように生きたいのにそれが出来ない苦悩。
個性的な人間でありたいのに他者の評価が気になる心理。

粘土アニメの暖かな質感にくるまれた人間の、社会の醜さ。
そんな醜い世の中で「本当の絆」を求める少女と男は、
世界がどう思おうが「本当の友達」となった。
それは実に非常識で、また不快でもあり、そして羨ましい。

これだけ心を揺さぶられたんだから良い作品であることは確か。
ただ、僕はちょっともう勘弁してほしいです。
僕はマックスの中に自分との共通点が多いことに気がついて
途中から感情移入し過ぎてつらかった~。