どうも、はちごろうです。

大型連休も始まりましたが僕は例年通り仕事です。
唯一の休みは日曜日だけ。これも例年通り映画を観に行こうと、
予定していた作品のチケットを2枚買ったんですが、
日曜日がサービスデーだったことをあとから知り、
結局その2本は来月以降観る羽目に。
さて、日曜日は午後から予定が入ってるけど、
午前中には何を観ようか思案中です。
さて、映画の話。

「ブルーバレンタイン」

昨年のサンダンス映画祭などで好評を博し、
ゴールデングローブ賞では主演男優・主演女優の2部門にノミネートされた
ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ主演のドラマ。
郊外の一軒家に暮らす夫婦ディーンとシンディは
一人娘のフランキーに恵まれ3人で暮らしていた。
しかし、苦労して看護師の資格を取り病院で忙しく働くシンディと
塗装工として働きながらも家族のことを一番に考えるディーン。
二人の人生観の違いからシンディはディーンにすっかり愛想を尽かしていた。
出会った頃の二人はそんなことはなかった。
医学生として大学に通うシンディは祖母が入所する老人ホームで
他の入所者の引っ越しを手伝っていたディーンと知り合い、
デートを重ねるうちに次第にひかれあっていった。
しかし、シンディの妊娠が発覚。しかも元彼の子供である可能性が高かった。
シンディは中絶を試みるが直前で断念。ディーンは全てを受け入れ彼女に求婚。
元彼や家族の反対に遭いながらも二人は結婚に踏み切ったのだった。
ディーンは離れて行ったシンディの心を取り戻すため、
子供を預け、二人っきりで一夜を過ごすことを提案するのだが・・・。

映画を見終わってから今日まで、感想がなかなかまとまらなかった。
感想を書いたところで全ての人間を納得させることは出来ないだろうから。
おそらくこの作品は観た人によって感想がバラバラになるだろう。
男と女、未婚者と既婚者でその思い入れの深さはかなり異なる。
それくらい個人個人の恋愛観や結婚観に問いかけてくる作品だった。

作品は若い男女が出会って愛を深めていく過程と、
すでに終わってしまったその愛が決定的に壊れる過程とを
交互に描くことで展開していくのだが、
シンディがディーンに愛想を尽かしたという、
その決定的な瞬間が描かれることはない。
それまで自分を愛してくれていた存在が、
ある日を境に拒絶の態度を取り始める。
男にとってこれほどまでの恐怖はないだろうが、
おそらく女性にとってシンディの気持ちはすごく理解できるのだろう。

ただ、これは完全に男側の視点で言わせてもらえれば、
ディーン自体は多少髪が薄くなったり腹が出たりしているが、
考え方はおそらく結婚したときと全く変わっていない。
シンディがいて、娘がいて、3人で過ごせれば幸せ。
「家族みんなで過ごせること」。これが彼の「幸せの基準」である。
ところがシンディは当初描いていた「医師になる」という人生設計が
望まぬ妊娠によって破たんしたにもかかわらず、
最初に望んだ「幸せの基準」が捨てられないでいる。
しかもなまじ看護師という職業を選んでしまったことにより、
周囲に自分の夢を実現させた存在がつねに身近にいる。
そのことがさらに彼女に自己嫌悪に陥らせ、
そんな「なりたくなかった自分」を好きでいるディーンもまた
彼女にとってはもはや憎しみの対象でしかない。

結局、二人の「幸せの基準」は出会った頃から違っていて、
そのことに気がつかずに一緒になってしまった。
つまりこの二人の関係が破たんすることは
結婚する前から必然だったのである。
ただ、もしこの結婚に関してディーンに落ち度があるとすれば
その違いを結婚前に見抜けなかったことであり、
シンディの方がより破たんの責任は大きいと思う。
妊娠すれば医師になることが難しくなるのに避妊もせず、
元彼との関係を清算していないうちにディーンとの交際を始め、
結果妊娠して、望んだ将来を自分で潰しておきながら中絶も出来ず、
おそらく結婚相手としては考えられなかったディーンと
完全に成り行きで結婚に踏み切ってしまった。
彼女のこの将来設計の甘さというか、場当たり的な行動が
この結婚が破たんした全ての元凶だったのではないだろうか。


ではなぜ二人は結婚に踏み切ってしまったのか?
それこそ「恋」のなせる業なんだろう。

「『恋に狂う』とは言葉が重複している。恋とはすでに狂気である」

こんな言葉を聞いたことがあるが、
まさに「結婚」とは正気を失わなければ出来ないものなんでしょうね。