どうも、はちごろうです。

今日は東京、降ったりやんだりの天気。
しかも蒸し暑くてなんかちょっと息苦しいです。
では、映画の話。

「SOMEWHERE」

ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した
ソフィア・コッポラ監督の新作。
世界的な映画スター、ジョニー・マルコは退屈していた。
高級ホテルで一人暮らし。フェラーリを乗り回し、
夜にはパーティに繰り出していたがそれにも飽きた。
そもそもオーディションを受けまくっていたら
たまたまスターになれただけなので、
そもそも彼は俳優という仕事に喜びを見いだせずにいた。
そんなある日、ホテルに娘のクレオがやってきた。
彼女は普段、別れた妻と一緒に暮らしているが、
元妻の仕事の都合がつかないときだけ
ジョニーの元に預けられるのだった。
娘と一緒に食事をし、TVゲームで遊び、プールで泳ぐ。
彼にとっては娘と過ごす時間だけが
唯一充実感を感じる瞬間だった。

ソフィア・コッポラ。言わずと知れたコッポラの娘ですね。
「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」を撮った巨匠、
フランシス・フォード・コッポラ監督の娘。
「ヴァージン・スーサイズ」で監督デビューを果たし、
2作目の「ロスト・イン・トランスレーション」では
アカデミー賞のオリジナル脚本賞を受賞。
本作は映画作家としての評価も確立した彼女の監督4作目。
彼女の作品には共通して描かれるモチーフがある。
それは「孤独」。特に「女性の孤独」というものが欠かさず出てくる。
1作目の「ヴァージン・スーサイズ」ってのは、実はあまり記憶にない。
思春期の5人姉妹がが自殺する話だったと記憶してるんだけど、
少女の繊細な心理状態を描写して評価された作品だったように思う。
で、2作目の「ロスト・イン・トランスレーション」は、
CM撮影で来日した初老のハリウッドスターと
夫の仕事についてきたアメリカ人女性が
東京のホテルで孤独を癒し合う話で、
1作目よりもっと普遍的な内容になっていた。
(個人的には大ハマりしてDVDまで買った)
そして前作の「マリー・アントワネット」は言わずと知れた歴史上の人物、
マリー・アントワネットを題材にして全世界の女性の心にある
「お姫様願望」ってやつをたっぷり充たした作品になっていたが、
やはり主人公は、王室というある意味閉鎖的な空間の中で
自身の「孤独」を充たすために苦悩していたように思う。

さて、ではなぜこのソフィア・コッポラという監督は
「孤独な女性」を作品の中に登場させるのか?
単純な話、この「孤独な女性」というのが彼女そのものだからである。
そして、今作ではその監督自身の孤独を担っているのが
主人公ジョニーの娘クレオである。
クレオ同様、監督自身も父親が世界的な映画監督で、
親類にも俳優や作曲家など、映画関係者も少なくない。
当然この作品に出てくるような「スターの日常」というやつを
監督は小さい頃から何度も目の当たりにしてきた。
そして同時に、いつも仕事で世界中を飛び回ってる父の不在に対し、
幼い彼女が「孤独感」を感じていたことも容易に想像できる。
つまり、ジョニーが娘との時間を貴重だと感じているのは、
実は自分の父、つまりフランシス・コッポラ監督が
仕事で自分との時間が持てないことに対して、
自分が感じているような「孤独」を感じてほしいという、
いわば彼女の「願望」が投影されているのである。

「娘と過ごせない父親にはいつも孤独を感じてほしい。
 そして最後は娘のもとに、自分の元に帰ってきてほしい」
彼女の作品はいつも私的な感情が込められているんだけど、
今回は特に私的な感情がむき出しになってた作品でした。
確かに言いたいことは理解できるんだけど、
残念ながら主人公が娘と一緒にいるときのシーンが
それ以外のシーンとあまり落差がないからか、
うまいこと観客の共感に繋がっていたとは
ちょっと言い難かったですね。
そもそも、実際に父コッポラ監督がそう思ってるとは
あまり思えないわけだし。