どうも、おささです。

昨日で僕の正月休みはおしまい。今日から通常営業です。
年末年始はイレギュラーな作業が増えて毎年調子を崩すので、
実は個人的にはあまり得意な時期ではないんですよ。
だから休みの終わりが悲しくもあり、嬉しくもありです。
では、映画の話。

「シュレック フォーエバー」

ドリームワークス製作の大ヒットアニメシリーズ完結編。
人々から恐れられていた緑色の怪物シュレック。
ドラゴンの元から救い出し、魔法使いにかけられた呪いを解いて、
自分と同じ緑色の怪物の姿になったフィオナ姫と結婚し、
3匹の子供たちと、ロバのドンキー、長靴をはいた猫など
友人たちに囲まれて幸せに暮らしていた。
だがそんな生活も毎日続くと飽きがくる。
子供たちの世話に明け暮れ、友人たちの出入りの激しい生活に疲れ、
いつの間にか、人々から恐れられていたあの頃の自分、
気楽に一人で好きなことが出来た生活が恋しくなっていた。
そんなある日、シュレックは一人の魔法使いを助ける。
ランプルスティルスキンと名乗るその男は、
「一日だけでいいから元の気ままな生活に戻りたい」という
シュレックの望みを叶えてあげようと言いだす。
彼の勧めに乗り、自分の子供の頃の何でもない一日と引き換えに
「自由な一日」を手に入れる契約書にサインしてしまったシュレック。
だがその契約にはある陰謀が隠されていた・・・。

日本ではあまりヒットしなかったこの「シュレック」シリーズ。
でも全米を中心に世界各国で大ヒットしました。
理由は簡単でこのアニメ、一言でいうと
既存のおとぎ話に対する「アンチテーゼ(反論)」だったんです。
つまりそれまでのディズニーが広めてきた定番のおとぎ話。
「ハンサムな王子様が美しい姫を怪物から助けて、
 めでたし、めでたし」 という理想に対して、そんなわけあるかぃ!と。
「世の中の大半はハンサムでもなく、美しくもない男女であふれてる。
 ハンサムと美人じゃなければ幸せにならないってんなら、
 じゃあ、ブスやブサイクは幸せに暮らせないのか?
 なら、俺たちアタシたちは一生不幸なのかぃ?!」という、
かつて夢見た幸せの範疇に入れなかった子供や、
「元・子供達」の不満を実に見事に発散させてくれたわけです。
まだまだ「アニメは子供のもの」という意識が強いアメリカで、
ディズニーの「美女と野獣」や、ピクサーの作品などあったものの、
ここまで強烈に大人の鑑賞に堪える劇場用長編アニメ、
むしろ大人こそ楽しめるアニメ作品は初めてに近かった。
だから、すでに宮崎駿や押井守の作品が一般的となり
「アニメは子供のもの」という意識が薄い日本ではパッとしなかったが、
欧米ではこのシリーズが新鮮に映り、熱狂的に愛されたわけです。

個人的には僕も日本人だし、なによりアニメもまだ観るので、
この作品に対して欧米人がなんでそんなに評価するのか、
公開当時はちょっと理解できなかった。
「確かによく出来たパロディだけどオスカー獲る程のもんか?」と。
しかもこのあとの続編2作は、フィオナの両親やハンサムな王子など、
「かつてのおとぎ話的な価値観」を持つ存在による逆襲話が続いて、
正直どんどん尻つぼみしていってるなぁ・・・って思ってました。

ところが今作はそうした「新旧の価値観の戦い」という話ではなく、
日本人にもわかるより普遍的なテーマを持ってきた。
何かというと「人生における可能性の消失に対する不安」。
「確かに結婚もしたし、子供にも恵まれた。仕事も順調。
 でも俺の人生、この先一生このままの生活で終わるのか?
 若かったあの頃の自分にはもう戻れないのか?」っていう、
中年男性がよく陥る「ミドルエイジ・クライシス」ってやつです。
劇場に来ていた子供連れのお父さん、お母さんの中には
かなり感情移入した人は多いだろう。
だが、シュレックはその生活を失ってみて初めて悟る。
「捨てた可能性があるからこそ、いまの幸せがある」と。
あの時この人生を選んだからこそ自分の幸せ、
そして周囲の人間の幸せも存在しているのだと。

そんなわけで、この「シュレック フォーエバー」、
シリーズ完結編でもって内容的には一番普遍的で
なおかつ一番深い領域に到達してました。
実は昨年も「トイ・ストーリー3」がヒットしていた影で、
ひっそりと公開されたドリームワークスの「ヒックとドラゴン」。
この面白さ、レベルの高さにも本当に驚かされた。
アメリカのアニメはいま内容的に非常に成熟してきています。
今後10年で日米のアニメの質はおそらくひっくり返ると思う。
というか、もうひっくり返ってるよなぁ。