どうも、おささです。

昨日は姉夫婦を呼んでの新年会でした。
というわけで昨日は一日中家にいたのですが、
3が日で映画を3本見てるので感想を書く作品はまだ2本。
というわけで、早速その2本目を。

「人生万歳!」

ニューヨーク映画界の巨匠ウディ・アレン監督の最新作。
NYで暮らす元物理学者のボリスは、理屈屋で偏屈で人間嫌い。
悲観主義者の彼は、パニック発作から衝動的に窓から飛び降りるが、
足に軽い障害が残ったものの奇跡的に命を取り留めた経験を持つ。
その出来事をきっかけに彼は仕事も、妻も失い、
現在は子供相手にチェスを教えながら安アパートで独り暮らし。
ある夜、ボリスが自宅に戻ると玄関前に若い女性がうずくまっていた。
メロディと名乗るその女性は南部の田舎町から家出をしてきたという。
仕方なしにボリスは彼女を自宅に泊めることにするが、
彼女はそのままボリスの家に居ついてしまう。
しかもメロディはボリスに一方的に好意を寄せてしまう。
年の若い、しかも知識も乏しい彼女に対して、
最初は恋愛感情が湧くわけがないと思っていたボリスだったが、
次第に彼女に好意を寄せている自分に気づき、ついには彼女と結婚。
ボリスはメロディの「天真爛漫さ」、メロディはボリスの「知性」という
互いに欠落した部分を持つ相手を手に入れたことで、
二人の結婚生活は周囲も驚くほど順調だった。
しかし1年後、夫の不貞を知ったメロディの母親マリエッタが
娘を頼ってNYにやってきたことで、事態は思わぬ方向に進んでいく。

米映画界で現在も現役で作品を撮り続けるウディ・アレン監督。
70歳を過ぎてもいまだに年1本のペースで作品をリリースしている。
彼の作風はあまり変わらない。だいたい自分の暮らすNYを舞台に、
おしゃれで知性のある成功した男女が
自身の恋愛観や人生の哲学について語り合う。
主人公はだいたい、理屈っぽくて見た目のパッとしない神経質な男で、
早口でまくしたてながら人生について説教を垂れていく。
その哲学は一言で説明すると「人生は運で決まる」。
神様もいないし、努力が必ず報われることもない。

・・・とまぁ、こういう作品ばっかりなので確かに好き嫌いは分かれる。
「ウディ・アレンの作品って能書きばかりで面倒くさいんだけど、
見た目もおしゃれだし、何より否定するとバカだと思われそう。
実際反論したら倍返しで言い負かされそうだし」みたいな。
つまりウディ・アレンの作品は決して大ヒットはしないけど、
映画に「知性」を求める一部の客から絶大な信頼を得ている。
しかも「知的な映画」は批評家たちも容易に批判できないから、
彼と、彼の作品はアカデミー賞の候補として常連だったりもする。
だから経歴に箔をつけたい俳優たちはこぞって彼と仕事をしたがる。
だから彼は今も映画監督として好き勝手が出来る立場を確保してる。
「映画監督の『成功』とは儲かることではなく、作り続けることである」
アニメ映画「スカイ・クロラ」の監督・押井守の持論から考えれば、
彼は「作りたい作品を、いつでも作り続ける事が出来る」、
いわば「勝ち組」の映画監督といえるだろう。

ただ、天才が常識人であるとは限らない。
彼は女優ミア・ファローとの結婚中に数人の子供を養子に取るが、
後年その中のスン・イーという女性と結婚して話題になった。
ミア・ファローとの結婚生活が破たんしたのも
彼女がアレンとその子との関係を知ってしまったからなんだけど。

さて、ウディ・アレン監督について長々と説明してきましたが、
何が言いたいのかというと彼の作品は非常に「私的な」作品なのです。
つまり「いま、僕はこう思ってるんだよ!」って言いたいだけ。
ウディ・アレンの美意識や願望を炸裂させるために存在する、
いわゆる非常に金のかかった「自主映画」とも言える。
だから主人公は基本的に、ウディ・アレン本人の投影だと思っていい。
そう考えれば、自分の監督作品の大半が彼自身の主演なのも、
彼の作品の主人公が神経質で理屈っぽいのも、
親子ほど年の離れた小娘と恋愛関係に陥るのも、
全部ウディ・アレン本人の美意識から来るものなのである。
でも、そんな独善的な作品を作っても映画監督でい続けられるのは、
人生の理不尽さ、人間の行動の不可解さをコメディタッチで語る、
その語り口が非常に優れているからである。

じゃあ、今回の作品はどうかというと、
今作は元々70年代に他人のために書いたけれど
諸般の事情でお蔵入りになっていた脚本を再構成したもの。
だから彼がアメリカの映画界で頭角を現した、
いわゆる全盛期の彼の作風に近いと言える。
ただ、今回は主演を自分ではなくラリー・デヴィッドという、
全米では有名なベテランのコメディアンが務めている。
だから今作の主人公ボリスはアレン映画の中でもかなり毒舌だけど、
それでも愛すべき存在として見られるようになっている。
ヒロインのメロディを演じるエバン・レイチェル・ウッドも、
いかにもアレンが好きそうなキュートな若い娘でした。
もちろん演技力はきちんとあるんですが。
で、肝心の物語なんですが人生の皮肉を効かせつつ、
なおかつ面白い、もっといえば笑える作品で楽しかったです。

個人的にはこの作品、すっごい好きですね。
というかこの主人公のボリスがまさに未来の自分みたいに見えて、
感情移入の度合いが半端じゃなかったです。
この作品で一番好きなのはこの作品が「映画」だと申告するところ。
「これは映画なんだ。君たちの住む世界とは違うんだ」と
主人公のボリスがカメラ目線で観客に語りかけてくるところである。
昨今、娯楽映画の中でも実在の事件をモチーフにしたり、
精巧なCGや、果ては3D映画なんて技術的な面でも、
現実と虚構の境をあいまいにしていくことが主流のアメリカ映画界で、
あくまで「映画」を、虚構の領分を守ろうとする姿は貴重である。