どうも、はちごろうです。


以前、「IMAXで観ろと言われても」というブログで
現在わざわざIMAXスクリーンで観る必要のある作品はほぼないことを書いた。
IMAXカメラは現在主流の映画撮影用カメラと画角が違うため、
そもそもIMAX用のカメラを使って撮影している作品が少ないこと。
そして、元は実写映画を撮影・上映するためのシステムなんだから、
あのスクリーンでアニメ作品を上映するのはあまり意味がない、というのが主な理由。
(ま、同じようなことを考えている人はいたようで、
 昨年公開された「劇場版鬼滅の刃 無限城編」は
 一部シーンをわざわざIMAXのフルスクリーン上映に堪えるように
 画角をスタンダードサイズで作画し直したものを
 「IMAX特別上映版」として上映していたようですが)


じゃあ、どんな作品がIMAXで観る意味がある作品なのか?と。
実はいままさにうってつけの作品が上映してる。
それが「罪人たち」という作品。

 

 

 




本年度米アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞をはじめ、
史上最多の16部門ノミネートを勝ち取った異色作。
黒人差別が根強い1930年代の米ミシシッピ州の田舎町で、
地元出身の双子の黒人青年が黒人向けの酒場を経営しようと奔走する。
そして無事酒場は開店。初日から地元の黒人たちが多数来店するが、
そこに招かれざる者が現れたことで一転、恐怖の一夜を過ごす羽目になる作品。
ホラー映画の形式を取りつつ、根底には米国文化の負の歴史の隠喩があり、
それでいて優れた音楽映画でもあるという奥の深いエンタメ作品で、
隅々まで趣向が凝らされた素晴らしい作品でした。

で、本題の「なぜこの作品がIMAXでの鑑賞に堪えるのか?」というと、
この作品はIMAX社純正のIMAXカメラをつかったスタンダードサイズと、
ウルトラパナビジョン70という幅70mmのフィルムを使った、
現在主流のビスタサイズよりも1.5倍ほど横に長ーい画角の
2種類の画角の場面が混在しているんですね。
で、実はこの2つの画角で撮られたシーンには
それぞれ共通した意味を持たせているんですよ。
それを念頭に置いて改めてこの作品を見てみると、
監督のIMAXという撮影手法に対する本音も透けて見えてきて
「やりやがったなぁ!」って気分になります。


この作品、本国アメリカでも予想外の大ヒットを記録したため、
日本では昨年6月に緊急公開されたんですね。
ちょうど「ミッション:インポッシブル/ファイナルレコニング」と
「F1/エフワン」の間に実質2週間程度上映されただけなので、
満足にIMAXスクリーンを確保することが出来なかったわけです。
で、米アカデミー賞のノミネートが発表になって、
目下作品賞大本命の「ワンバトル・アフター・アナザー」とともに
凱旋上映という形で日本でも再上映が始まりましたけど、
「ワン・バトル・・・」の方にはIMAX版の上映があったのに
今回は端から「罪人たち」にIMAX上映が予定されてなかった。
確かに「ワン・バトル・・・」も昨年の封切り時に
監督が「IMAXのフルスクリーンで観る必要がある」と力説してたけど、
これは撮影に使ったビスタビジョンカメラがIMAXカメラと画角が一緒だから
「全編フルスクリーンの画角で上映できる」というのが主な理由。
一方、「罪人たち」の場合は前述したように
それぞれのシーンの画角に意味を持たせているという点で
IMAX版で上映する理由の必然性が段違いなわけです。
ま、この作品がいまIMAXスクリーンで観られないという事実が
結構皮肉にもなっちゃってるんですけどね。



というわけで、IMAXで観られないのは非常に残念ではあるんですが、
それでも「罪人たち」は出来ることなら映画館で観ておいた方がいいと
はっきり断言できる作品でしたね。そもそも娯楽作品としても一級品ですし。

ま、すでにU-NEXTで観放題配信やってますけども。



 

どうも、はちごろうです。


先週末のシネコンは「映画ドラえもん」でどこも大盛況。
直木賞受賞の原作を映画化した時代劇「木挽町の仇討ち」も話題。
そしてオール日本ロケのハリウッド映画「レンタル・ファミリー」に、
「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェネル監督が
「バービー」のマーゴット・ロビーを主演で撮った文芸大作「嵐が丘」など、
何を選んでも「え、あれ観なかったんですか?」って後で言われそうな状態。
そんなわけで、結局先週末はほぼ現実逃避をするように
「劇場版 転スラ」を観てしまったわけですがw。

 

 

 





さて、長らく日本の映画興行を支えてきたTVアニメの劇場版。
最近は世界的にも日本のTVアニメが注目を集めていることもあり、
続々と劇場版が製作されているわけですが。
この「TVアニメの劇場版」にはいくつかのパターンがあって。


パターンA:「尺の長い通常回」
(例:「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「それいけ!アンパンマン」など)

 

 

 





そもそも原作漫画が1話完結で制作されている作品で、
普段のTV放送も1回の放送でエピソードが1話、
もしくは2話以上放送される番組の劇場版はこのパターン。
劇場版で登場するキャラクターは、その作品限定のものが多い。


パターンB:「外伝」
(例:「名探偵コナン」「ONE PIECE」「ドラゴンボール」など)

 

 

 





原作漫画が連続もので、しかも作品が未完の場合はだいたいこれ。
「原作の○○巻と××巻の間にこんな話があった」
「TV版のこのエピソードの途中でこんな話が」
という感じで、映画オリジナルの話が制作される。

パターンAもパターンBも、従来は原作とは別物という扱いだったのだが、
ここ最近、このパターンBにちょっとした変化があって。


パターンB’:「原作に影響する外伝」

典型的なのがここ最近の「名探偵コナン」の劇場版。
従来、劇場版の「コナン」は典型的なパターンBで、
ぶっちゃけ、原作ファンは劇場版を観なくても全然問題がなかった。
しかし2014年の第18作目「異次元の狙撃手」で、
コナンこと工藤新一の実家に居候している謎の大学院生・沖矢昴が、
黒の組織の潜入スパイで、死亡したと思われていた
元FBI捜査官・赤井秀一だったことが原作よりも先に公表されたことで、
原作ファンも劇場版を無視できなくなったわけです。

 

 

 

 

 


その後も、21作目の「から紅の恋歌」に登場したキャラクター・大岡紅葉が
のちに原作にも登場するようになったり、
28作目の「100万ドルの五稜星」では、以前から工藤新一と怪盗キッドが
周囲から「似ている」と指摘される理由が明かされるなど、
原作ファンとしてはやっかいなパターンが一般化されつつある。
また「響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜」のように、
一見すると外伝的な話なのかと思いきや
ラストで思いっきり第3シーズンの伏線を張ってくる作品もありますが。



そしてここ最近急速に増えてきたのが

パターンC:「テレビシリーズの完全な続編」
(例:「鬼滅の刃 無限列車編」「チェンソーマン レゼ編」など)

 

 

 





昭和の頃、TV版が原作の最新話に追いついてしまった時は
無理やりにでもTVオリジナルのエピソードを作って延命を図ったものですが、
最近は追いついた時点で一旦放送を終了し、
ある程度原作のエピソードがたまるまで待つというのが一般的。
ところがここ最近、このTVシリーズの続きを
劇場版として制作するパターンが増えてきている。
確かに劇場版でTVシリーズを完結させるパターンも昔からあったけど
(「うる星やつら」とか「旧エヴァ」とか)、
「劇場版鬼滅の刃 無限列車編」の記録的ヒットをきっかけに、
「これを見ておかないと、次のTVシリーズは理解できないよ!」
という感じの劇場版アニメが徐々に増えてきている印象があり、
TVアニメのファンはなおさら劇場版を無視できない状態になっているわけです。


この「テレビの続きは劇場で」ってパターン、
それこそ30年以上前に「パ☆テ☆オ」という実写映画があって。

 

 

 

 

 


まだ日本にバブルの余韻が残ってて、フジテレビがまだイケイケだった頃、
先にパート1、パート2をTVドラマとして放送したのち、
完結編だけを劇場用映画として公開するという企画があった。
でも当時は「テレビで始めたものはテレビで終わらせろ」という意見が多数で、
興行成績もパッとせず、この企画自体はむしろコケたと記憶してる。
だからここ最近、パターンCの劇場用アニメが

むしろ好意的に受け取られているのは興味深い。
ま、単発の2時間ドラマと違い、すでに分厚いファン層を持つ作品の劇場版だし、
最近は「映画館に行くこと」それ自体をイベントとして楽しむ向きもあるから、
当時とはいろいろ事情が違うともいえますけどね。



しかしそんなTVアニメの劇場版にもかなりの変わり種が存在する。
それが2022年公開の「映画 ゆるキャン△」。

 

 

 





山梨を舞台に、5人の女子高生がキャンプを楽しむ姿を描き、
キャンプブームに一役買ったことでもお馴染みの日常系アニメ。
原作もTVシリーズも未完の本作の劇場版は、
原作の最新話から少なくとも8年から10年経過し、
5人は全員高校も大学もとっくに卒業してて、
それぞれの土地でそれぞれの職業に就いているという設定で始まる。
そこから5人が地元でキャンプ場作りに挑戦することになるんだけど、
高校時代とは違い、大人になってある程度現実を知った彼女たちが、
いろいろな問題に折り合いを付けながら実現に向けて努力していく姿に
最初劇場で観た時は「こう来たか!」と驚きました。
これ、公開当時にもっと話題になってもよかったなといまでも思いますが。



ま、どのパターンでも、
ファンを満足させられれば成功なんでしょうけどねぇ。
あ、ちなみに今回の「劇場版 転スラ」ですが、
公開直後でもあるので具体的な感想等は言いません。
ただ、パターンとしては「B´」だったことだけは
これから見ようと思ってる人には言っておこうかなと。

 

 

どうも、はちごろうです。

 

先週末公開の映画「MERCY/マーシー AI裁判」。
同僚を殺害した犯人が裁判で無罪になったことをきっかけに
AIによる裁判制度の導入を推進した刑事が、
妻殺しの容疑でAIに告発される姿を描いたサスペンス映画だそうで。

そう遠くない未来、生活のあらゆる場面でAIが活用されることが予想され、
この話も全くの絵空事とは言い切れないだろうことは容易に想像できる。
そのため、なんとなく「今日的、今風、斬新」と見えなくもない。
しかし私はこのあらすじを聞いたとき、
「どっかで聞いたことある話だなぁ・・・」と思ったわけです。

「最新のテクノロジーを駆使して作られた、一見すると完璧な司法システムが
 実は全く完璧とは程遠い代物だった」
「完璧な司法システムを使って犯罪を取り締まる側だった主人公が
 逆にそのシステムに犯罪者と認定されて追いつめられる」といった話は、
何十年も前から定期的に作られてきたし、何度も観てきたわけですよ。

今回の「MERCY」に結構近いのが東野圭吾原作の「プラチナデータ」。
二宮和也さん主演で映画化もされましたけど、
国が極秘に国民のDNAデータを収集・管理することで

冤罪率0を目指す捜査システム。
その開発に携わった科学者が殺害され、

捜査に協力していたDNA捜査の専門家が容疑者に特定されて…という話。
他にもトム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」。
これは「犯罪が起きる前に容疑者を特定し処罰するシステム」に
取締官である主人公が容疑者として特定される話でしたね。
同様の設定の話だと日本で大ヒットしたTVアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」。
市民の心理状態や性格傾向をリアルタイムで測定、数値化し、
犯罪を起こしそうな市民を取締官が未然に逮捕、

場合によっては刑を執行できるシビュラシステムが導入された近未来。
でもこのシステムで取り締まれない凶悪犯が現れて・・・という話でした。
またスタローン主演の「ジャッジ・ドレッド」という、
犯罪者の摘発だけでなく、その場で処罰する権限も与えられた取締官が、
身に覚えのない殺人容疑をかけられて・・・なんて話もありました。

「人工知能に判断させて犯罪者を裁く」というのは、
一見すると起訴事実に沿ってシビアに判断を下してくれる、
情状酌量などという被害者にとっては理不尽に見える理由で
処罰の切っ先が鈍ることを防ぐという点ではいいように見えるけど、
その人工知能が下した判決だって、

仮に収集した情報が第三者によって捏造されている、
もしくは本来提供される情報が秘匿されていた場合は当然間違った判断になるし、
まるっきり冤罪が発生しないとは限らない点で完璧とはいえないわけですよ。

「完璧なシステムなんてない」
ま、今回の「MERCY」もそういった教訓に落ち着くんだろうなぁ・・・と。



年齢を重ねてくると、いわゆる「新作」と呼ばれるものがちっとも新しく見えない、
「どっかで観たことあるぞ、この話」という瞬間に出くわすことが増える。



例えば先々週公開の戦争映画「ウォーフェア 戦地最前線」。
2006年。イラクで任務に当たる特殊部隊員8名が
敵に包囲されて絶体絶命のピンチに立たされる、実話をもとにした話。
それを圧倒的なリアリティと最新の映像・音響技術で描いた作品なんだとか。

この「観客を実際の戦場にいるかのような錯覚をさせる」、
「銃弾飛び交う最前線のリアルを観客に味わわせる」といった意図を持つ話も、
それこそスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」とか、
リドリー・スコット監督の「ブラックホーク・ダウン」とか、
キャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」とか、
この30年の間にもいろいろ作られてきたわけですわ。
かつて戦争映画は主人公の兵士が憎き敵国の軍隊を倒して万々歳という、
一種の勧善懲悪ものの娯楽作品としての色合いが強かった時期もあった。
でも70年代くらいから「本当の戦争はこんなもんじゃないんだ」、
「我々が戦場のリアルを見せてやる!」とばかりに、
銃で撃たれれば血が噴き出し、肉が飛び散る残酷描写を敢えて含んだ、
それこそ死の恐怖を観客に訴えかける話がどんどん制作されてきた。

確かに意義深い作品ではある。
それこそ去年「戦争ワクチン」というブログにも書いたように
定期的に触れておかなければならないジャンルだという認識もある。
でも観終わった後、げっそりした気分になる点で「娯楽」と呼んでいいのか迷う。
だから、正直もうこの手の話はいいや!ってなってる。


どんなにリアルな戦場を再現して見せても、
本物の戦場から漂う死と硝煙の匂いを感じることはできないし、
だいたいどの作品も結局は

 

 「戦争なんてするもんじゃない」
 「戦場なんて、その場にいたもんじゃなきゃ理解できない」

 

という教訓で終わるからね。



とまぁ、そんな調子でここ数年、「新作」と称される作品を見かけるたびに

 「あぁ、あれはおそらくあの作品に近いんだろうな」
 「あ、やっぱりこれは本質的にはあの作品と一緒だな」

という既視感とどう付き合うかというフェーズに入ってきてる実感がある。
流行は30年周期でめぐってくる、なんて言われるけど、
そろそろ私もその2週目に差し掛かってきたのではないかと。

となると、だいたいの筋が読めても、それでも楽しめる作品。

長いこといろんなジャンル、いろんな作品に触れてきて、

自分にとって一番ツボにはまるジャンル、設定、展開の話だけを

延々と見続ける楽しみ方に落ち着いていくのかなぁと。



でもこの先のフェーズってのもあるらしくて、
さらに年齢を重ねて、いよいよ記憶力が乏しくなってくると、
先月観た映画も「新作」と思えてくるんだとか。観たことを忘れちゃって。

それはいいことなのか、悪いことなのか・・・・・

 

どうも、はちごろうです。


大変遅くなりましたが、新年けましておめでとうございます。
今年も不定期更新ですがよろしくお願いいたします。


私は子供の頃から高橋留美子先生の作品が好きで。
「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」
「犬夜叉」「境界のRINNE」、そして最新作の「MAO」。
40年以上ヒット作を出し続けている業界の現人神の一人なんだけど、
実は最新作の「MAO」、個人的にはあまりハマってない。
個人的な印象としては「犬夜叉」をさらにダークに、シリアスにした内容で、
コメディタッチの作品が好みの私としてはあまり得意ではない。

まぁ、好きな作家の作品でも全部が全部ハマるわけではないしなぁ・・・と
ある程度納得していたんだけれども、
昨年約30年ぶりにリメイクされたTVアニメ「らんま1/2」、
これもやっぱりしっくりこなかったんですよねぇ。
ひとが一番多感な頃とされる10代後半に連載されてて、
原作自体は毎週楽しみに読んでいた記憶もある。
しかも当時の声優陣で再アニメ化したにもかかわらず、
結局途中で観るのを止めてしまったくらい。



最近、これまで何の疑問もなく親しんできたものと
どんどん波長が合わなくなってきている。
これはコロナ渦でこれまでの日常生活が半強制的に休まされたことが、
結果的にそれまでの生活について、好むと好まざるとにかかわらず
見つめなおすきっかけになったことと関係しているように思う。
もうとっくの昔に飽きていたのに惰性で続けていたもの、
本来さほど興味もなく、誰かに勧められて始めたものなのに、
「自分はこれが好きなんだ」と自らに暗示をかけて続けていたものを、
「果たして本当に好きだったんだっけ?」と改めて疑問に感じて
改めて自分の「好み」について精査してみようかなとなってる。


例えば映画や漫画、アニメのジャンルでいえば圧倒的に「コメディ」が好き。
小さい頃からヒーローものとか、アクションとか、スポ根とか、
昭和の価値観でいうところの「男の子向けの作品」がことごとくダメ。
なので、ここ20年くらいハリウッドが作り続けているアメコミヒーローもの、
あれがそもそも自分の性に合っていない。
でも惰性で見続けられたのも、結局は若さのなせる業だったと思う。

また、女性アイドルにハマったこともない。
おそらくこれは「アイドル」というジャンルそのものが性に合わないからだろう。
ま、一番ハマりやすい中学・高校時代がいわゆる「アイドル冬の時代」という、
80年代アイドルブームが終息して、完全に凪の状態だったのも影響してるのかも。

ゲームも、「スト2」や「バーチャファイター」とかの格闘ゲーム全盛の時代に、
「I.Q.」とか「XI」とかのパズルゲームにハマったりしてたし、
「モンハン」「桃鉄」「マリオカート」といった、
誰かと一緒に楽しむゲームにも全くハマらなかった。
これは「ゲームは基本一人でプレイするもの」という思いが強いからだと思う。
だからオンラインゲームは今でも手を出す気になれない。

音楽は割と雑食というか、新旧洋邦なんでも聴く方だけれども、
やっぱりアイドルソングやアニメのキャラソンは苦手。
おそらく、いわゆる「萌え声」ってやつが性に合わないからだと思うが、
ファン向けだからこそ許される楽曲を聴くと
バカにされているような感覚になるからというのもある。

本は、実は子供の頃から読む習慣がなかったけれど、
大学時代にとりあえず活字に慣れるために短編はしこたま読んだ。
でも最近はとんとご無沙汰だし、買ってもほぼ積ん読状態。
おそらく読書自体、そもそもが苦手なのだろう。



そんな調子で、しばらくは自分の「好き」を探る日々を続け、
見つかったものは大事にしていこうと思う。
まさに

 ♪~好きなものは好きと 言える気持ち 抱きしめてたい

ってな感じですね。


ただ、趣味をある種のコミュニケーションツールにしてきた身としては、
「趣味を変える」ということはそれまでの人間関係を手放すことに等しい。
でも歯を食いしばってもう興味のなくなった趣味に時間を割くのか、
それとも誰とも交わらずに貴重な時間を全く自由に使うか、
その二択の間でまだ揺れ動いているのも事実なのだが・・・。
 

どうも、はちごろうです。


10月に公開されたアメリカ映画「ワン・バトル・アフター・アナザー」。
「タイタニック」でおなじみのレオナルド・ディカプリオが、
「ブギーナイツ」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の
ポール・トーマス・アンダーソン監督と念願のタッグを組んだ作品。
かつて左翼系ゲリラ組織に所属していた男が、
一人娘に迫る危機を阻止するために奔走する話。



「そろそろ映画の感想書く気になったの?前回も結構感想書いてたし」
と思った方、すいません。映画の感想はおそらく今後も書く予定はないです。
前回は「いい映画」の条件について考えた流れで少し書いただけです。
今回はここ数年の映画界について感じていることを書く。
ま、中年映画ファンの愚痴と思って笑っていただければ。



この作品、公開前に監督のインタビュー動画がネットに上がっていたんだけど、
それによると、本作はビスタビジョンカメラという、
60年代に一時期使われた特殊な撮影用カメラを用いて撮影したので、
全編IMAXのフルスクリーンの画角で上映することが可能。
だから出来ることならIMAXの劇場で観てほしいという。


「ビスタビジョンカメラで撮ったからIMAXで」って言われても
大多数の観客には「?」となってしまうわけですが、
これは映画用に撮影された画面の縦と横の比率、
専門用語で「アスペクト比」というやつが関係している。
一応ウィキペディアで調べてみたのですが、
現在発表される劇場用映画の画面サイズは主に3種類に分かれるそうな。

一つ目は「スタンダードサイズ」。
これはかつての白黒時代の映画やブラウン管テレビのような、
縦と横の比率が3:4というサイズ。

二つ目は「ビスタサイズ」。
これは家庭用テレビに対抗して画角を横に広くしたもので、
いまの薄型テレビの画角と同じ縦と横が9:16の比率。
前述したビスタビジョンカメラが使用されたときに登場。

そして三つめは「スコープサイズ」。
ビスタビジョンのサイズからさらに横に広がり、縦横の比率は5:12。


他にもさまざまな撮影用カメラ、撮影用フィルムが戦後開発され、
定着せずに消えていったものも多数あるわけですが、
その辺のことは各自でお調べください。



さて、ではなぜビスタビジョンカメラで撮った映像なのに
「IMAXのスクリーンで観るべき」と言っているのか?

まず、最近特に映画館でもてはやされているIMAX映画について軽く説明。
これはカナダのIMAX社が開発した撮影用カメラで撮られた映像を、
高さだけでも20m前後もある巨大なスクリーンで上映することで
圧倒的な没入感を得ることができる、というのが売り。
それともう一つ特徴的なのはその画角。
現在公開されている映画の大半はビスタサイズか、スコープサイズ。
我々が当たり前のように観ている横に長いタイプですね。
よほどのこだわりがない限り、スタンダードサイズでの撮影はあまり行われてない。
(あ、この前観た三宅唱監督の「旅と日々」はスタンダードサイズでした)
しかしIMAXカメラの画角はスタンダードサイズが基本なわけです。
そしてこのIMAXカメラ、実は使うフィルムの横幅が違うだけで
基本的な仕組みはビスタビジョンカメラとほぼ一緒なんですね
(ちなみにビスタビジョンは35mm、IMAXは70mmフィルム)。

また通常、映画撮影用のカメラというのはフィルムを縦に移動させて撮影する。
以前の「金曜ロードショー」のオープニングのアニメに出てきたあれですね。
一方、ビスタビジョンもIMAXもフィルムを横に移動させて撮影する仕組み。
それによってそれまでの一般的な撮影用カメラよりも高画質な映像の撮影が可能になり、
例えば広大な景色とか、群衆シーンなんかを効果的に撮影ができると。
だからIMAXカメラと似たような構造のカメラで撮影された
「ワン・バトル・アフター・アナザー」は、
IMAX用のバカでかいスクリーンをフルに活用できる。
だから監督はわざわざ「IMAXで観て!」と言っていたわけです。

ただこのIMAXカメラ、通常の撮影用カメラと違いレンタル料も高く、
また前述したようにIMAXカメラの画角はスタンダードサイズなので
一般的な映画館のスクリーンでの上映の際には画角を変更する必要がある。
そのため、IMAXカメラを劇映画の撮影で使用すること自体があまり普及していない。
使ったとしても作中のいくつかのシーンのみというのが現状。
だからいまIMAXのスクリーンで上映している作品のほとんどが、
通常の映画用カメラで撮影したものの画質を
撮影後に編集室でアップグレードしたものに過ぎない。
(ちなみにIMAXカメラ大好き監督の代表格クリストファー・ノーラン。
 「オッペンハイマー」でついにオスカーを獲りましたけど、
 次回作の「オデュッセイア」はIMAXカメラで全編撮影してるんだとか)
さらに前述したようなバカでかいサイズのスクリーンを用意してる施設も少ないため、
IMAX社が想定する上映環境で鑑賞できる場所自体が
世界でも数えるほどしかないわけです。
(ちなみに日本では東京・池袋と大阪・エキスポシティの二か所のみ)

つまり、身もふたもない話をさせてもらうと、
そもそもIMAX用のカメラで撮影された作品が少ない現状では、
絶対にIMAXスクリーンで観るべきといえる作品は年に数本しかない。
それでも数年前、映像用カメラ大手数社のいくつかのカメラに
IMAX社が「IMAX用と名乗っていい」とお墨付きを与えたことで、
多少はIMAXスクリーンで観る意味のある作品は増えているけれど、
その結果、ただでさえ少ないIMAXスクリーンの取り合いになっている。
ましてやIMAXスクリーンは本来IMAXカメラで撮影された映像、
つまり「実写作品」を観るための場所。
だからあのスクリーンでアニメ作品を上映する意味はほとんどない。
でも、より高い単価で集客をしたいという映画会社と映画館側の戦略により、
「IMAXという特別な上映方式で観る」というファン心理を喚起することで、
特に日本ではTVアニメの劇場版のIMAX版が乱発されてる。
その結果、今回の「ワン・バトル・アフター・アナザー」のような、
まさにIMAXスクリーン向きの映画が一日1回しか上映されない、
なんてことが常態化してしまってるわけです。



ここ20年ほど、いわゆるプレミアムラージフォーマットと呼ばれる
何らかの付加価値のついた上映方式が映画館で乱立するようになった。
主な上映方式について軽く説明すると


4DX、MX4D・・・スクリーンの映像に合わせて座席が動いたり、
           風や水などが観客に当たるアトラクション的側面の強い上映方式。
           乗り物酔いする人間には到底楽しめない代物。
           ちなみに4DXとMX4Dの違いは開発された国の違い。
           4DXは韓国、MX4Dはアメリカの企業。

スクリーンX・・・・・客席の全面だけでなく、左右両方の壁にも映像を投影する。
           視界全てがスクリーンで覆われるため没入感はあるが、
           後ろだけでなく左右からも映像が投影される為、
           単純に光源が3倍になって、上映中の館内が無駄に明るい。

ドルビーアトモス・・・米ドルビー社が開発した音響システム。
           音声トラックと位置情報をリンクさせて
           より的確なサラウンドを提供できるのが売り。
           
ドルビーシネマ・・・・前述したドルビーアトモスに加え、
           黒の発色が特徴的な映写システム「ドルビービジョン」の
           両方を兼ね備えている劇場システム。
           よって、夜のシーンが多い作品の鑑賞に向いている。
           本編よりも上映前のデモ映像で客席が一番沸く。


他にも各シネコンが独自に開発した上映システム、音響システムなどがあって
その都度追加料金が請求されているわけです。
(これも詳しいことは各自で調べてくださいね)


今回の「ワン・バトル・アフター・アナザー」の境遇に対し、
「映画製作者の思いを映画館が汲まないのってどうよ?」と思う反面、
「映画館にとっては『売れる映画』こそが正義だから」という理屈もわかる。
でもどんなに特殊な上映方式を導入したとしても、
肝心の作品の質が良くなければ意味がないわけですわ。
ま、私も映画ファンのはしくれなので、
どうせなら大きなスクリーンで観たいという気持ちはあるのですが、
「この上映方式じゃないとダメなんだ!」とこだわりすぎる製作者にも、
「この上映方式で観てこそです」と煽ってくる映画館側にも、
それはそれで「てやんでぃ、べらぼうめ!」って思ったりします。


さて、明日からジェームズ・キャメロン監督の最新作
「アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ」が公開されますね。
1作目の「アバター」はいわゆる3D映画という、

新しい上映システムを導入したものの結局あまり普及せず、

現在進行形で忘れ去られていってます。
(ま、テレビ業界が3Dの番組を製作・放送することに消極的だったのと、
 後発で発売されたVRゴーグルの方が人気が出ちゃったことなど、
 いろいろと普及に対するハードルが高かったですし)
これもまた、冒頭15分くらいはそれなりに驚くけれど、
中盤になったら目が慣れてきちゃうんですよね。
そもそも全編にわたって立体的になってるわけでもないし。
最終的には作品の面白さ次第だよなぁ、こういうのは・・・と感じます。



あ、結局「ワン・バトル・アフター・アナザー」は
IMAXスクリーンの上映時間と自分の予定が合わず、
通常のスクリーンで観ましたけどね。感想は言いませんけど。