どうも、はちごろうです。


現在公開中の映画「サンキュー、チャック」を観る。
スティーブン・キング原作の短編小説の映画化。
監督は「ドクター・スリープ」のマイク・フラナガン。

 

 

 






あらすじはこんな感じ。

世界各国で大規模な自然災害が同時多発的に発生。
インターネットなどのインフラの維持も難しくなり、
人々は「世界の終り」を実感しつつあった。
そんなある日、国語教師のマーティーは通勤中に妙な広告を見つける。

 「ありがとう、チャールズ・クランツ!
  39年間の素晴らしい人生に」


マーティーはその広告を見つめながら「誰がいつ、何のために?」と考えていた。
一方、彼の別れた妻で看護師のフェリシアも同じことを考えていた。
病院には連日、世を悲観して自殺した人たちが多数運ばれ、
彼女たちはその処置で忙しい日々を送っていた。
そんなある日、彼女は従業員控室のラジオから奇妙なCMを聴く。

 「ありがとう、チャールズ・クランツ!
  39年間の素晴らしい人生に」


しかも放送していたのはNPR(公共放送局、日本でいうNHK的な局)だった。

 「CMがないはずの局でなぜこんなメッセージを?」

幹線道路では大規模な陥没が発生し、テレビ局も放送を中止するなど、
世界の終わりを実感するような出来事が増えていく一方、
チャールズという男を称える広告も日増しに増えていくのだった。



キングといえば「シャイニング」「キャリー」「ペット・セメタリー」など
映画化もされたホラー作品を数多く発表したことで知られるが、
この大先生、「スタンド・バイ・ミー」や「グリーンマイル」、
「ショーシャンクの空に」など、意外と感動系の話を書いてることでも有名。
で、本作は導入こそはオカルト色が強いんだけど
全体的にはハートウォーミング系の作品になってる。


で、今回も具体的な感想については書かないが、
見ていてちょっと気になったシーンについて。


作品の序盤にマーティーが深夜一人でテレビを見てるシーンが出てくる。
画面には世界各地の惨状を現地のニュース映像で伝える番組が映ってる。
クリーブランドは洪水で街が水浸しになり、南米では大規模な山火事が発生し、
火山が噴火して溶岩が街に迫っている場所もあるなど。
そんな中、日本の様子を伝える映像が一瞬だけ映るのだが、
そこには暴徒化したデモ隊が警官隊に投石する様子が映っていたのである。


この一見するとなんでもないシーンに、私は思わず苦笑してしまったのである。
このシーンには製作者たちの日本と、そして日本人に対するイメージが
端的に凝縮されていると感じたからである。


まず、製作者たちにとって日本という国は自然災害ごときではびくともしない、
他国なら確実に国が崩壊するレベルの自然災害が起きても
日本人は粛々と日々を続けているだろうと考えていることが透けて見える。

確かに、この15年でも東日本大震災、熊本地震、能登半島地震は言うに及ばず、
震度6クラスの地震も数年に1回のペースで国内のどこかで発生し、
震度5レベルに至っては翌週になれば地元以外では話題にすらならない。
また地震だけでなく台風も例年複数回本島まで上陸し、
近年では線状降水帯や竜巻の発生も珍しいことではなくなった。
さらに元々日本は火山の多い地域でもあるので、
火山の噴火に警戒する情報も日常的に報道されているという、
自然災害とともに暮らすことを宿命づけられている国であることは間違いない。
だから日本は常日頃から国内の災害対策について検討を重ね、
さらに市民も災害に備えた準備を怠らないわけです。
先日も大雨に関する警報の発表方法について改定があったわけですし。

また東日本大震災の翌日、あれだけの被害にあった現地の人々が
借りていたDVDを返しにレンタル店に列を作った映像が世界配信され、
震度5強にみまわれた東京のオフィスで働いていた外国人が
日本人の同僚たちが当然のように定時まで仕事を続ける姿に驚いたなど、
日本人の自然災害に対するいい意味での慣れというか、動じなさというか、
発生時の対処の的確さもまた世界中の人たちに知られるようになった。

だからどんなに大きな自然災害が起きようが
日本人だけは厭世観に襲われないのでは?と、
他国の人たちが勘違いしても仕方がないのかなとも思う。


さて、話は逸れるがいま国会前では現政権に対する、
結構な規模の抗議デモが毎晩行われている。
ま、国会前だけではなく全国各地で同時多発的に行われているようで。
しかし、なぜかというかいつものようにというか、
国内のメディアはほぼスルーで、むしろ海外メディアの方が熱心に報道してる。
「あの日本で政府に対して抗議デモが行われている!」と。
私は日本のデモ活動が海外のそれと比べて異質というか、
長年行政とメディアによって弱体化させられていて、
その状態が当たり前だと思っている人が多すぎると思っているのだが、
それについては長くなるし、余談なのでいつかの機会にする。


閑話休題。例のシーンの話に戻る。
諸外国なら間違いなく国が傾くレベルの災害が起きても心を折らず、
粛々と復旧・復興を目指し、そして成し遂げてしまう日本。
さらに天変地異だけでなく、政治や行政に対しても声高に非難をせず、
仮にデモをする際にも行政の化した厳しいルールをどこまでも守る、
そんな良くも悪くも「怒らない」「諦めのいい」日本人が
暴徒と化してしまうような状況になったときこそ、
日本にとっての「世界の終り」なのではないか?と
本作の制作者たちは考えているのではないだろうか?


そのような状況が起きないことを切に願うばかりだけれども。
 

どうも、はちごろうです。


3月まで放送されていたアニメ「違国日記」。

 

 

 

 

 


人見知りの女性小説家・槙生と、高校1年の姪・朝。
姉夫婦の事故死をきっかけに共同生活をすることになった二人の姿を描いた作品。
演出、脚本、音楽、そして主演の二人の演技が素晴らしく、
早くも年間ベストといっても問題ないほどの出来でした。

その第1話の序盤のシーン。
姉夫婦が運ばれた病院で再会した槙生と朝は、
院内の喫茶店で朝食を食べることに。
「好きなだけ食べていい」と槙生にいわれた朝は、
言われたとおりに目の前のパンと飲み物を口に運び続ける。
その様子を見た槙生は、朝に「悲しい?」と質問する。
そう言われた朝はどう返答していいか困惑するが、
その様子を見た槙生は「別に変じゃない」と返答し、
「あなたの感情はあなたのものだから」と彼女を肯定する。

朝は両親の死を悲しんでいないわけではない。
あまりに突然の出来事で感情が追いついていないだけで、
日を追うごとに彼女は親の死を実感し、ついには初めて槙生の前で涙を流すのだが、
槙生はそのことを察し、彼女の心情を肯定しつつ、
「今から日記をつけるといい」と提案するのだった。


さて、近しい人間との突然の別れに対し、どう感じるかは人それぞれなのだが、
年齢を重ねていって実感するのは、「人の死=悲しい→泣く」という、
一般的に考えられる心の変化はあまり起こらないということ。
また、喪失感を実感するタイミングは人それぞれで、
相手との距離が近ければ近いほどそのタイミングは逆に遅くなる傾向がある。

古典落語の名作に「佃祭」という噺があって、
そのなかで町内の若い衆が悔やみを言うのに四苦八苦するくだりがある。
若い衆は遺された家族を気遣うと同時に、やっぱりいい人にも思われたいから
無い知恵を絞って悔やみの言葉を探すがなかなか上手くいかない。
しかし、そこに連れてこられた与太郎が自分の思うままに故人への思いを語り、
むしろそっちの方が周囲の心を動かすいい悔やみになった、
なんて演じ方をする人もいる(確か権太楼師匠だったかな?)。



ネット上で有名人の訃報が報じられるたび、
関係者でもない一般の人たちが我先にと悔やみを発信する光景が見られる。
かつてこれを「お悔みビーチフラッグ」とか
「ご冥福ビーチフラッグ」と評した人たちがいましたが、
公の場で追悼の意をわざわざ表明する行為には
やはり「いい人に見られたい」という私欲が入っていると自覚した方がいい。
そしてその私欲に対するうしろめたさを感じている人ほど、
その故人とより近い人間の悲しみに寄り添う体で
関係者から追悼の言葉を引き出そうとするのではないか、と思う。


「自分がこんなに悲しい気持ちでいるんだから、
 より近しい人間はもっと悲しんでいるのではないか?」

 

と、性急にそれを求めるのは相手の気持ちを理解しない身勝手な行為だし、
ましてやネットニュースが「まだこの人はコメントを出してません」と
特定の関係者が追悼コメントを出してないことを報じる行為は、
故人も、その関係者をも冒涜する行為である。



まぁ、自分もこのブログで過去に何度か追悼文を書いてきたので
あまり強くは言えませんけどね。ま、自覚はしておいた方がいいよと。

 

どうも、はちごろうです。

 

 

2か月ほどほったらかしにしてまして。

ブログを書くためのまとまった時間がなく、

やる気も起きなかっただけで息災は息災でした。

 



さて、いまだにブルーレイレコーダーで多くのTV番組を視聴している。
確かに配信で観るのは便利だが、全部が配信されているわけではなく、
各局がお試しで制作した単発番組の中で
とんでもない珍品が紛れている場合があるのがその理由。
そのため、週に1回はレコーダーの番組表をチェックしているのだが、
最近とある番組が放送されているのを見つける。


それは昨年開局したBSデジタル局「J:COM BS」で放送中の
「最近どう?」という番組である。

最初にレコーダーの番組表で見つけた時は平日、
しかも月曜から金曜まで毎日深夜2時過ぎに放送しているのを見つけた。

 「ふーん、帯番組なんだ・・・」

なんてことを考えていたのだが、番組表をよく見てみると
どうやら深夜の枠は再放送だったようで、夜9時半にも放送していること、
そしてなぜか番組に振られている放送回数が、
二つの枠で全く違うこともわかったのである。

 「え、帯?」

さすがにかなり怪しいなと思ったので番組説明のボタンで確認してみたところ、

 “吉幾三、山本譲二、香西かおりの3人によるトーク番組”

と書かれていたのである。

 「・・・・・帯!?

吉さんや譲二さん、香西さんといえば演歌界でもかなりの大物。
その3人のトーク番組を毎日30分放送するというのは
いったいどういう番組なのか?


で、実際に番組を録画して見てみた。
BS局特有のステーションロゴに続いて番組がスタート。
画面には吉さんたち3人がどこかの飲食店のテーブルの前で
お酒やおつまみを前にトークをしているのだが、
なぜか声がものすごく小さいのである。
飲食店自体の音の返り方もあって妙な反響が効いて声も散っちゃってる。
よく見るとこの手のトーク番組には当然ながらあるはずの、
出演している3人の胸元に付いているはずのピンマイクがない。
3人の後ろにあるガラス窓の反射で確認できたのだが、
どうやら撮影はスタッフのスマホを三脚に立てて行われていて、
マイクもスマホに内蔵してあるものだけで録音していたようだ。
話自体は出演者が酔っていることもあって結構毒があり、
下ネタもばんばか出てきて個人的には嫌いじゃないが、
視聴者目線で観てもTVで放送していいのか不安になるほどだった。

しかしこの番組、よくよく調べてみると合点がいった。
実はこの番組、香西かおりさんのYouTubeチャンネルで配信している企画で、
配信が開始されたのはどうやらコロナ禍の真っただ中。
おそらくはコロナ禍でコンサート活動が困難になった
2020年の9月ごろからスタートさせている。
(実際、配信開始当初は3人の間に衝立が置かれ、
 ソーシャルディスタンスをバッチリ取って撮影されている)
つまり元々YouTubeで流すことを目的としていた動画を、
局が放映権だけ買ってそのまま放送していたものだったのである。



突然ですが、ここで1本の映画について話したい。

2014年に公開されたアメリカ映画「Welcome to me」。

 

 

 

 

 


主演は映画「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」や
「オデッセイ」などに出演したコメディアンのクリステン・ウィグ。

あらすじはこんな感じ。

主人公のアリスは心の病を抱えながらも、どうにか社会生活を送っていた。
そんなある日、彼女は宝くじに当選。数千万ドルもの大金を手にする。
彼女はその金を元手にテレビ局に勤める親類のもとを訪ね、
自分のことを発信するテレビ番組を制作するのだが・・・という話。
企画・構成・演出・出演、全て自分。
アリスの、アリスによる、アリスを知ってもらうための番組。
しかし番組制作のノウハウを学んだことがない素人の作った番組は、
番組初回の冒頭から明らかにセンスのなさが際立っていて、
テレビ局のスタッフたちが彼女を見守る絶望的な表情が印象的で。

公開当時、本国アメリカでは全くヒットせず評価もいまいち。
当然ながら日本で公開されることもなく、ビデオ発売も配信もなし。
たまたま当時WOWOWで放送していた映画情報番組で
予告編を紹介していて知っただけなので、実は私も観ていません。
だから作品の結末についても知りません。
彼女の作った番組が誰にも受け入れられずに終わっていくのか、
それともなぜか人気が出て高視聴率番組になったのか。
ま、「結果は出ませんでした」では話にならないので、
「それなりにカルト的な人気が出た」的なオチが付いたのかもしれませんが。


でも、当時この映画の予告を見ていて思ったのは

 「これ、YouTuberみたいじゃん!」

ってことでした。
まともに映像作品を制作する技術的な勉強をしたことがない個人が、
ただ自分のやりたいように動画を製作して世の中に発信する。
もちろんYouTuberもピンキリで、面白いものもたくさんあるのだろうが、
ネットの外にまで影響力を行使できるYouTuberはほんの一握りしかいなくて、
大多数の配信者はこの作品の主人公のような反応をされてしまうのだろう。

個人運営のYouTubeチャンネルは、もちろん全部が全部とは言わないが、
もう一度言いますよ、「もちろん全部が全部とは言わないが!」
使用する機材や撮影・録音・照明などの技術的なノウハウが乏しく、
それ以前に配信者のしたいことが優先される傾向にあるため
視聴者を楽しませるという意識が相対的に薄い印象がある。
そのため地上波テレビでそのまま流せるレベルのものは
それこそ一握りにもならないと思っていたわけです。
しかし、「最近どう?」は出演者こそ有名人ではあるものの、
ついにテレビ局が個人制作のYouTubeチャンネルの動画をそのまま流すという、
結構なことをやっちゃったのではないか?と思っている。


今後、同様のことを他局でもやるようになるのか。
それともすでにやってる局があるのかはわからない。
でもこの番組が放送されていることについては
テレビの今後について少し思いを巡らせるきっかけになったことは確かである。

ま、考えてみればこれに近い番組はすでに作られてましたけどね。
地方で会社を経営する大金持ちが自分の承認欲求を満たすため、
地元テレビ局の放送枠を買い、制作会社とタレントを雇って
自分の仕事ぶりを発信するというやつ。
あれ、視聴率は取れてたんだろうか?

 

どうも、はちごろうです。


以前、「IMAXで観ろと言われても」というブログで
現在わざわざIMAXスクリーンで観る必要のある作品はほぼないことを書いた。
IMAXカメラは現在主流の映画撮影用カメラと画角が違うため、
そもそもIMAX用のカメラを使って撮影している作品が少ないこと。
そして、元は実写映画を撮影・上映するためのシステムなんだから、
あのスクリーンでアニメ作品を上映するのはあまり意味がない、というのが主な理由。
(ま、同じようなことを考えている人はいたようで、
 昨年公開された「劇場版鬼滅の刃 無限城編」は
 一部シーンをわざわざIMAXのフルスクリーン上映に堪えるように
 画角をスタンダードサイズで作画し直したものを
 「IMAX特別上映版」として上映していたようですが)


じゃあ、どんな作品がIMAXで観る意味がある作品なのか?と。
実はいままさにうってつけの作品が上映してる。
それが「罪人たち」という作品。

 

 

 




本年度米アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞をはじめ、
史上最多の16部門ノミネートを勝ち取った異色作。
黒人差別が根強い1930年代の米ミシシッピ州の田舎町で、
地元出身の双子の黒人青年が黒人向けの酒場を経営しようと奔走する。
そして無事酒場は開店。初日から地元の黒人たちが多数来店するが、
そこに招かれざる者が現れたことで一転、恐怖の一夜を過ごす羽目になる作品。
ホラー映画の形式を取りつつ、根底には米国文化の負の歴史の隠喩があり、
それでいて優れた音楽映画でもあるという奥の深いエンタメ作品で、
隅々まで趣向が凝らされた素晴らしい作品でした。

で、本題の「なぜこの作品がIMAXでの鑑賞に堪えるのか?」というと、
この作品はIMAX社純正のIMAXカメラをつかったスタンダードサイズと、
ウルトラパナビジョン70という幅70mmのフィルムを使った、
現在主流のビスタサイズよりも1.5倍ほど横に長ーい画角の
2種類の画角の場面が混在しているんですね。
で、実はこの2つの画角で撮られたシーンには
それぞれ共通した意味を持たせているんですよ。
それを念頭に置いて改めてこの作品を見てみると、
監督のIMAXという撮影手法に対する本音も透けて見えてきて
「やりやがったなぁ!」って気分になります。


この作品、本国アメリカでも予想外の大ヒットを記録したため、
日本では昨年6月に緊急公開されたんですね。
ちょうど「ミッション:インポッシブル/ファイナルレコニング」と
「F1/エフワン」の間に実質2週間程度上映されただけなので、
満足にIMAXスクリーンを確保することが出来なかったわけです。
で、米アカデミー賞のノミネートが発表になって、
目下作品賞大本命の「ワンバトル・アフター・アナザー」とともに
凱旋上映という形で日本でも再上映が始まりましたけど、
「ワン・バトル・・・」の方にはIMAX版の上映があったのに
今回は端から「罪人たち」にIMAX上映が予定されてなかった。
確かに「ワン・バトル・・・」も昨年の封切り時に
監督が「IMAXのフルスクリーンで観る必要がある」と力説してたけど、
これは撮影に使ったビスタビジョンカメラがIMAXカメラと画角が一緒だから
「全編フルスクリーンの画角で上映できる」というのが主な理由。
一方、「罪人たち」の場合は前述したように
それぞれのシーンの画角に意味を持たせているという点で
IMAX版で上映する理由の必然性が段違いなわけです。
ま、この作品がいまIMAXスクリーンで観られないという事実が
結構皮肉にもなっちゃってるんですけどね。



というわけで、IMAXで観られないのは非常に残念ではあるんですが、
それでも「罪人たち」は出来ることなら映画館で観ておいた方がいいと
はっきり断言できる作品でしたね。そもそも娯楽作品としても一級品ですし。

ま、すでにU-NEXTで観放題配信やってますけども。



 

どうも、はちごろうです。


先週末のシネコンは「映画ドラえもん」でどこも大盛況。
直木賞受賞の原作を映画化した時代劇「木挽町の仇討ち」も話題。
そしてオール日本ロケのハリウッド映画「レンタル・ファミリー」に、
「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェネル監督が
「バービー」のマーゴット・ロビーを主演で撮った文芸大作「嵐が丘」など、
何を選んでも「え、あれ観なかったんですか?」って後で言われそうな状態。
そんなわけで、結局先週末はほぼ現実逃避をするように
「劇場版 転スラ」を観てしまったわけですがw。

 

 

 





さて、長らく日本の映画興行を支えてきたTVアニメの劇場版。
最近は世界的にも日本のTVアニメが注目を集めていることもあり、
続々と劇場版が製作されているわけですが。
この「TVアニメの劇場版」にはいくつかのパターンがあって。


パターンA:「尺の長い通常回」
(例:「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「それいけ!アンパンマン」など)

 

 

 





そもそも原作漫画が1話完結で制作されている作品で、
普段のTV放送も1回の放送でエピソードが1話、
もしくは2話以上放送される番組の劇場版はこのパターン。
劇場版で登場するキャラクターは、その作品限定のものが多い。


パターンB:「外伝」
(例:「名探偵コナン」「ONE PIECE」「ドラゴンボール」など)

 

 

 





原作漫画が連続もので、しかも作品が未完の場合はだいたいこれ。
「原作の○○巻と××巻の間にこんな話があった」
「TV版のこのエピソードの途中でこんな話が」
という感じで、映画オリジナルの話が制作される。

パターンAもパターンBも、従来は原作とは別物という扱いだったのだが、
ここ最近、このパターンBにちょっとした変化があって。


パターンB’:「原作に影響する外伝」

典型的なのがここ最近の「名探偵コナン」の劇場版。
従来、劇場版の「コナン」は典型的なパターンBで、
ぶっちゃけ、原作ファンは劇場版を観なくても全然問題がなかった。
しかし2014年の第18作目「異次元の狙撃手」で、
コナンこと工藤新一の実家に居候している謎の大学院生・沖矢昴が、
黒の組織の潜入スパイで、死亡したと思われていた
元FBI捜査官・赤井秀一だったことが原作よりも先に公表されたことで、
原作ファンも劇場版を無視できなくなったわけです。

 

 

 

 

 


その後も、21作目の「から紅の恋歌」に登場したキャラクター・大岡紅葉が
のちに原作にも登場するようになったり、
28作目の「100万ドルの五稜星」では、以前から工藤新一と怪盗キッドが
周囲から「似ている」と指摘される理由が明かされるなど、
原作ファンとしてはやっかいなパターンが一般化されつつある。
また「響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜」のように、
一見すると外伝的な話なのかと思いきや
ラストで思いっきり第3シーズンの伏線を張ってくる作品もありますが。



そしてここ最近急速に増えてきたのが

パターンC:「テレビシリーズの完全な続編」
(例:「鬼滅の刃 無限列車編」「チェンソーマン レゼ編」など)

 

 

 





昭和の頃、TV版が原作の最新話に追いついてしまった時は
無理やりにでもTVオリジナルのエピソードを作って延命を図ったものですが、
最近は追いついた時点で一旦放送を終了し、
ある程度原作のエピソードがたまるまで待つというのが一般的。
ところがここ最近、このTVシリーズの続きを
劇場版として制作するパターンが増えてきている。
確かに劇場版でTVシリーズを完結させるパターンも昔からあったけど
(「うる星やつら」とか「旧エヴァ」とか)、
「劇場版鬼滅の刃 無限列車編」の記録的ヒットをきっかけに、
「これを見ておかないと、次のTVシリーズは理解できないよ!」
という感じの劇場版アニメが徐々に増えてきている印象があり、
TVアニメのファンはなおさら劇場版を無視できない状態になっているわけです。


この「テレビの続きは劇場で」ってパターン、
それこそ30年以上前に「パ☆テ☆オ」という実写映画があって。

 

 

 

 

 


まだ日本にバブルの余韻が残ってて、フジテレビがまだイケイケだった頃、
先にパート1、パート2をTVドラマとして放送したのち、
完結編だけを劇場用映画として公開するという企画があった。
でも当時は「テレビで始めたものはテレビで終わらせろ」という意見が多数で、
興行成績もパッとせず、この企画自体はむしろコケたと記憶してる。
だからここ最近、パターンCの劇場用アニメが

むしろ好意的に受け取られているのは興味深い。
ま、単発の2時間ドラマと違い、すでに分厚いファン層を持つ作品の劇場版だし、
最近は「映画館に行くこと」それ自体をイベントとして楽しむ向きもあるから、
当時とはいろいろ事情が違うともいえますけどね。



しかしそんなTVアニメの劇場版にもかなりの変わり種が存在する。
それが2022年公開の「映画 ゆるキャン△」。

 

 

 





山梨を舞台に、5人の女子高生がキャンプを楽しむ姿を描き、
キャンプブームに一役買ったことでもお馴染みの日常系アニメ。
原作もTVシリーズも未完の本作の劇場版は、
原作の最新話から少なくとも8年から10年経過し、
5人は全員高校も大学もとっくに卒業してて、
それぞれの土地でそれぞれの職業に就いているという設定で始まる。
そこから5人が地元でキャンプ場作りに挑戦することになるんだけど、
高校時代とは違い、大人になってある程度現実を知った彼女たちが、
いろいろな問題に折り合いを付けながら実現に向けて努力していく姿に
最初劇場で観た時は「こう来たか!」と驚きました。
これ、公開当時にもっと話題になってもよかったなといまでも思いますが。



ま、どのパターンでも、
ファンを満足させられれば成功なんでしょうけどねぇ。
あ、ちなみに今回の「劇場版 転スラ」ですが、
公開直後でもあるので具体的な感想等は言いません。
ただ、パターンとしては「B´」だったことだけは
これから見ようと思ってる人には言っておこうかなと。