東博「神護寺」Part 1 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2024年9月現在の国宝の総数1,143件。そのうち、美術工芸品912件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

東京国立博物館


へ行ってきました(^_^)/


現在は、後期展示に切り替わっています。
展覧会では、現在、下記の11件の国宝が展示されています。これらを全3回に分けてレポートしますね。

第1章 神護寺と高尾曼荼羅
①御請来目録 最澄筆(東寺)
②金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(東寺)
③風信帖 空海筆(東寺)
④尺牘(久隔帖)最澄筆(奈良国立博物館)

↑↑↑ここまでは今回レポート↑↑↑

⑤狸毛筆奉献表(醍醐寺)
⑥両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)金剛界(神護寺)
⑦文覚四十五箇条起請文 中山忠親筆(神護寺)
第2章 神護寺経と釈迦如来像ー平安貴族の祈りと美意識ー
⑧釈迦如来像(神護寺)

↑↑↑ここまでは次回レポート↑↑↑

第3章 神護寺の隆盛
⑨山水屏風(神護寺)
第5章 神護寺の彫刻
⑩薬師如来立像(神護寺)
11五大虚空蔵菩薩坐像(神護寺)
↑↑ここまでは次々回レポート↑↑
します。

それでは、今回分のレポートです。
第1章 神護寺と高尾曼荼羅 から
①御請来目録 最澄筆(東寺)
②金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(東寺)
③風信帖 空海筆(東寺)
④尺牘(久隔帖)最澄筆(奈良国立博物館)

以上を、1件ずつレポートしますね。




・国宝 御請来目録 最澄筆

教王護国寺(東寺)所有の国宝。平安時代(9世紀)の作。

国宝指定名称は、"弘法大師請来目録〈伝教大師筆/〉"。

空海とともに、遣唐使として唐に渡った、もう一人の平安仏教界のスーパースター"最澄"の書です。

まずは、この国宝 弘法大師請来目録のバックストーリーを少し紹介します……

最澄と空海は、同時期に遣唐使として唐に渡りますが、顔を合わせることになるのは、帰国してからだったようです。
なぜなら、空海は第一船、最澄は第二船と別々の船で唐へ渡ったから。
(ちなみに、第三・四船は難破して海の藻屑と消えました……)
同じように思えますが、空海は自費で留学する"私度僧"で、滞在期間は20年。一方の最澄は国費で留学し、通訳まで付く超エリート。任期はわずか1年。
最澄は留学途中に、桓武天皇から「早く帰ってきてくれよ〜」との要請を受け、泣く泣く帰国します。
最澄はこの事によって、"密教"を学び切れずに帰国することとなりました💦

一方の空海は、唐で天才ぶりを発揮。
真言七祖の一人 恵果から、わずか2年で"密教"のすべてを学びます。
恵果からは「もう、そなたに教えることは何も無い。早く国に戻り"密教"を日本に広めなさい。」と帰国を促され、20年を2年に切り上げて日本に帰国しました。

ところが帰国後、遣唐使の期間をメチャクチャ早く切り上げたことが災いし、空海は何年も九州で足止めを食って、都に入れてもらえませんでした。

この、国宝 弘法大師請来目録は、最澄が、空海が許されて都にあがれるよう、この国宝 弘法大師請来目録を書き上げ帝に献上したと言われています。
「空海は、こんな素晴らしい密教の経典などを、唐から持ち帰ってきています。早急に都に来させるべきだ」と。

後に空海は都に上ることを赦されるので、最澄の影響(この弘法大師請来目録)は大きかったのでしょう。

前置きが長かったですね~
では、レポートします。


国宝 弘法大師請来目録は、巻子装(巻物形式)で、びゃーっと全巻展示しています。

巻きのタイトルは「沙門空海学法目録」。
「上新請来経等目録表」の書き出しで始まります。
薄い界線が引かれ、王羲之に影響を受けたとされる、最澄の丁寧で柔らかい楷書でササッと書かれています。
まずは、入唐の場面から始まり、その後に、空海が唐から持ち帰ったお経など様々なもののリストを、ズラ〜と記しています。
さらに巻末には、在唐2年の出来事を記しています。

さて、この時点で空海とは、ほぼ面識の無かった最澄は、空海に都に来て欲しかったのでしょうか?それとも、空海の持ち帰ったもの(弘法大師請来目録に記載された様々なもの)が欲しかったのでしょうか?






今年春、奈良博で開催された"空海KUKAI"展のポスターより

教王護国寺(東寺)が所有する国宝。中国 唐時代(9世紀)の作です。

こちらは、空海が師である"恵果"から拝領したものだと考えられています。
五鈷杵・五鈷鈴と、それらを乗せる金銅盤のセットです。

五鈷杵は、それぞれ両端に5つの爪が付いたもので、元はインドの武器だったといわれています。

五鈷鈴は5つの爪が付いた、チリリーンと鳴る鈴です。

金銅盤には、細〜く繊細なデザインが施された猫足が3本。折れそう……(^_^;)
表面にキレイな文様が線刻されているのですが、上に五鈷鈴・五鈷杵が置かれているので、文様はほぼ見えません……

密教の修法の際に用いられ、空間を清浄にし、魔を祓うための仏具ですね。
独立展示ケースでの展示ですので、360°から見ることができます。




・国宝 風信帖 空海筆


Wikipediaより

教王護国寺(東寺)所有の国宝。平安時代(9世紀)の作。


あまりにも有名な空海から最澄に宛てた、空海直筆のお手紙💌です。

空海のキレイな文字と、キレイな文章をご堪能ください✨


巻物に装丁されていて、3通の手紙が張り付けてあります。

全巻展示なので、3通とも見ることができますよ。


3通とも空海の筆によるものですが、その1通目の書き出しが「風信雲書…」で始まることから、「風信帖」と呼ばれているんですね。

なんせ、空海と最澄という、仏教界の2大スターが交わした手紙です。資料的価値は高いでしょうし、空海は嵯峨天皇、橘逸勢と並び、三筆とされる書の達人ですから美術的価値も併せ持ってます。

内容は、「お手紙、ありがとうございました。比叡山に是非来て欲しいとのこと、大変有りがたく存じます。心苦しいですが、忙しくてなかなか行けそうにありません。最澄様、ぜひ高野山にいらしてください。切に切に望みます。」みたいな感じかな(^_^;)?

空海と最澄の仲が悪くなる前の手紙ですが、最澄の「比叡山に来て下さい」に対して、「高野山にいらしてください」と返すあたり、なんかしっくりきません(*_*)


2通目3通目は別の内容です。

Wikipediaより

2通目「忽披帖(こつひじょう)」は、1通目と同じく、行書でしたためられています。

内容は、「お手紙いただいたのですけれど、最近メッチャ忙しくて拝見できずにいます。法要が終わったら早々に読みますね🙏」という内容……

この頃の空海は、とっても忙しそうです……

Wikipediaより
↑3通目「忽恵帖( こつけいじょう)」は

草書っぽい行書です。いや?行書っぽい草書か?……

内容は、「今、やってる法要は数日後には終了します。そうしたら必ずあなたの下へお伺いします。『仁王経』の借用を所望されているとのこと。今は別の人が持っていってるので、後日必ずお貸ししますね(^_^)」というものです。

この頃、最澄は、やたらめっぽう空海に経典を借りてるんです。

空海は嫌がりもせず、最澄に応えようとしていますね。

両者が蜜月の時を過ごしている頃の、お手紙💌です。


せっかくの全巻展示なので、3通を見比べて見てください。

空海の書体が変化していることに、気づきますよ。

特に3通目の「忽披帖」が書家の間では評価が高いそうですが、私にはワカリマセン??





・国宝 尺牘(久隔帖)最澄筆


過去奈良博での写真撮影可能時のもの
平安時代 弘仁4年(813年)11月25日の作。

"尺牘(せきとく)"とは、お手紙のこと。
仏教界の2大スーパースターのひとり。天台宗の宗祖 伝教大師 最澄の直筆の手紙です。最初に紹介した国宝 弘法大師請来目録に続き、最澄の国宝真筆2件目、軸装されています。

空海の元で修行させている、最澄の愛弟子 泰範(たいはん)に宛てた手紙ですが、当時は高僧同士の手紙のやり取りは、弟子を通して行うのが通例だったようで、実質、空海あての手紙です(^_^)

「久隔清音……」「久しくご無沙汰しています……」から始まるので「久隔帖」と呼ばれています。
7才年下ではあるものの、当時親密であった尊敬する空海への想い、最澄の学問への純真な想い。ここに仏教界2大ヒーローの交流が伺えます。