MIHO MUSEUMで、藤原道長と御嶽詣❤ | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

滋賀県は甲賀市にあります、MIHO MUSEUM で開催中の、


」のレポート、第二回目です(^_^)/

展示の国宝は、以下のとおり。

・国宝 蔵王権現鏡像 

・国宝 藤原道長経筒 【10/3~12/10】 
・国宝 御堂関白記より
寛弘4年条 【9/16~10/15】
・国宝 後二条師通記より
寛治4年条 【9/16~10/15】
・国宝 大和国金峯山経塚出土品より
経箱 鷺脚台付 【9/16~11/5】
経箱 猫脚台付 【9/16~11/5】
の、5件6点です。

前回は、国宝 蔵王権現鏡像 をレポート 


しましたが、今回は藤原道長関連の国宝をレポートしたいと思います(^o^)




・国宝 藤原道長経筒 【10/3~12/10】 

金峯神社所有の国宝。平安時代 寛弘4年(1007年)の作。

「此の世をば 我が夜とも思う望月の 欠けたることも無しと思えば」
で有名な、平安時代に摂関政治で思いのままに権勢を振るった、藤原道長(ふじわらのみちなが)。
教科書にも出てきますね(^_^)
彼が42歳の時、吉野の金峰山(きんぷせん)へ参詣した際、土中に埋めた「経筒(きょうづつ)」です。
"経筒"とは、お経を収める円筒形の容器で、茶筒型をしています。今は、緑青で当時の輝きは失っていますが、全面に鍍金が施されたゴージャスなもの。

被せ蓋の周囲には「南妙法蓮華経」を表した梵字が彫られています。
胴の周囲にも、24行521文字でお経を埋めた経緯を彫っています。
奉納した日付「寛弘四年八月十一日」の横には「大日本国左大臣二位藤原朝臣道長」の文字がハッキリと見えます。

独立展示ケースでの展示ですので、360°ぐるりと周って見ることができます。照明も工夫されていて、刻字も見やすかったです(^_^)

少し離れたところに、経筒の中に収められていた、五島美術館所有の重文の"紺紙金字経"も巻かれたままの状態ではありますが、展示されていました。


さて、この経筒を埋めた日のことを、道長は自筆の日記に残しています。
それが……



・国宝 御堂関白記より
寛弘4年条 【9/16~10/15】

Wikipedia より
陽明文庫所有の国宝。平安時代 寛弘4年(1007年)の作。

御堂関白こと、藤原道長の自筆日記です。国宝でありながら、ユネスコの世界記憶でもあります。

自筆本14巻に写本12巻ありますが、展示は自筆本です。"巻"でいうと「寛弘四年下巻」にあたります。

具注暦(ぐちゅうれき)という、宮中で発行した公式カレンダー(巻物になってる)に書き込む……という形で、日記を書いています。
今風に云うと、会社で貰った手帳に日記をつけてる……って感じですね(^_^)
金峰山に経筒を埋めた寛弘4年(1007年)の8月11日を中心に、1.2mほど巻中を展示していました。日付だと、7月29日〜8月23日までの部分の展示です。

ただね〜(^_^;)肝心の
「宝前に金銅燈楼を立て、その下に(経筒)を埋め、常燈を供える」
と書かれた部分は、裏面なんですよ(^_^;)
展示は表面なので、ひっくり返さないと見えません。ということで、この事が書かれた裏面は、パネル展示なんですよね〜チョット残念……
↑この表面の画像の、左1/3部分を見てください。ここ8/11前後は、紙がくすんで見えますよね。これは大量に裏書きされているから、墨が滲んでるんです。

カレンダーに書き込む形式なので、スペースが足りない時、道長は裏面も使って書いたんです。だから裏が透けて、くすんでるんです。

で、この願掛け、大成功します(^o^)
翌年、一条天皇の元に嫁いでいた道長の娘 彰子に念願の男子(後の後一条天皇)が誕生します。
「これはスゴイご利益だぁ!」ってことで、貴族たちの間で金峰山参詣(御嶽詣)が大ブームとなるんです。

せっかく表面の展示なので、他の日付も見ておきましょう。

↑8月10日
「金峰山に到着し、金照房という僧坊に着く。午時に沐浴し解除(禊の祓え)をする。いよいよ、明日(8/11)の本番に備える。」とあります。←次に紹介する国宝に関わるので、覚えておきましょう(^_^)
字のキタナイ道長ですが「午時沐浴解除」は読めますよ。

8月20日(ゴメンナサイ画像は無いです)
金峰山参詣(御嶽詣)で都を留守にしていた道長のために、一条天皇が"相撲会"という相撲大会のスケジュールを遅らせてくれていました。
相撲大会を見ることのできた道長は大喜び\(^o^)/
何とありがたいことだ!と感激しています。
これ、裏読みすると、絶対権力者の道長に対して、天皇であっても忖度しなきゃいけなかったんですよ。
舅のご機嫌を伺う一条天皇カワイチョ(T_T)

この、金峰山参詣(御嶽詣)ブームはけっこう長く続きます。

それが分かるのが……




・国宝 後二条師通記より
寛治4年条 【9/16~10/15】

陽明文庫所有の国宝。平安時代 寛治4年(1090年)の作。

国宝指定名称は「後二条殿記」。
藤原道長のひ孫 藤原師通(もろみち)の日記です。自筆本1巻と古写本29巻の計30巻が残っています。
今回の展示は、古写本の1巻です。

巻子本(巻物形式)で、寛治4年8月1日〜の巻中3mほどを展示していました。茶紙に天地にのみ界線を引いた料紙に書かれています。
平安時代のものですが、御堂関白記よりもキレイに残っており、非常に状態が良いです。

藤原師通も道長に倣って、金峰山参詣(御嶽詣)に2回行ってます。
巻中に「入道殿後日記←(御堂関白記のこと)」の記載があり、道長の行動を参考にしていたらしい事が伺えます。

例えば、8月10日の日記を見てみましょう。
「午時沐浴解除」と書かれています。
御堂関白記にも、同じ日に同じ記載があったでしょ。ひぃお爺さんの道長と、日付まで合わせて、同じ行動をしているんです!
この時代、いかに"先例"を大事にしていたかが良くわかりますね。
だからこそ、藤原家の栄華が続いたし、これら日記が現代まで大事に残されてきたかもわかりますね。


さ、どうでしたでしょうか?
藤原道長と一緒に金峰山参詣(御嶽詣)に詣でた気分になれましたでしょうか?

教科書で習う割には、あんまり有名じゃない"藤原道長"ですが、来年の大河ドラマ「光る君へ 


」では、重要な役回りをするはずなので、今から楽しみです(^_^)


MIHO MUSEUMのレポートは、次回3回目に続きます。