人間生きてたらひょんな出来事が巡ってきたりするわけで。
中高一貫の、いわゆる進学校と言われる生徒の前で講演する機会を、同じ三津に住む『田中戸』のアキ君からバトンタッチされた。
『インスパイアリング レクチャー』といって、(ここからは学校の資料抜粋)
「元気をもらい、刺激をもらい、生きがいを見つけるためのヒントを得る講座。すぐに本講座の効果が形となって
現れるとは限らないが、多感なこの時期に聞いた話は、大人になって甦り、人生の道しるべになることは少なくありません。
生徒たちはこの講座を通して、夢を広げたり生き抜く力を得たりすることができるものと考えています。」
というものだ。
この講演を担うことで『講師紹介資料』を手渡され、そこには略歴を書く欄がほかの項目の欄より大きめのスペースであった。
私の略歴…。
『「ボランティアとは何か」が私の原点。
20代後半に「ボランティア=自己満足」を払拭させたく、カンボジアスタディツアーに参加。
電気も水道もない村で過ごした日々で私のオリジナルのボランティアが確立された。
そのボランティアを表現すべく、人の垣根を超えた祭り「つむぎの村の祭り」を7年行う。
日本をヒッチで旅したり、生活のための仕事は添乗員など、常に動くことをした30代だった。
30代後半には、それまであまり興味のなかった世界に目がいき、3年の間、20か国旅をする。
行動や、意識、感覚を最大限に自由にしてくれる海外の旅のことを愛媛新聞コラムやブログにて発信』
と書いた。
この欄を書きながら、今の私が始まったのは13年前のカンボジアの旅だったなぁ。としみじみ思う。
目的をもった海外の旅はこのカンボジアが初めてだった。
アンテナを張って挑んだカンボジアで私は私のボランティアを掴めた。
目的を持った旅の後は、目の前の誰かに自分の言葉で伝えることができる。
13年前の出来事と、感覚がいまだに色あせることなく残っているのは、カンボジアの全部が私に教えてくれたからだ。
そんなことが言いたかったのに、初めての講演はもう支離滅裂もいいとこだった。(恥ずかし~)
人前で話すことは慣れていたのに、いつものナオキャンで話せばいいのに、少しだけいいかっこうしようとする自分がいた。
だけど、後日、学校から生徒たちの感想文が送られてきた。
『先生が確立したボランティアはそれは先生が確立したものだから、私にはピンとこなかったけれど
自分で探って自分を確立することは大切なことなんだと思いました。』
『カンボジアでの生活の様子など聞いて、日本では感じる幸せが全然違うなぁと思いました。
当り前のことが向こうの人達からすると珍しいものだったりするんですね。私も何か行動するときはしっかりとした目的を持ちたいです。』
などと、よくあの講演からこれだけのことを理解してくれたものだと、こちらから生徒に礼文を送りたい感想文だった。
ありがとう。
下の方に進むにつれて、肩書と名前がだんだんおかしなことになってるでぇ~!
もう、この文句でええんちゃう?




