なぜ彼は私に声をかけてきたのだろう

 

夜のとばりがおりる頃、家路に向かう車中で もうすっかり記憶にかすりもしない男のことを思い出した。

 

 20173月、カリブ海に浮かぶ世界で一番ご陽気者が多い国CUBAのサンティアゴデクーバという街で夜、広場のベンチに私は座っていた。

広場の中心では、なぜか黒服バシッときめこんだ人間40人くらいがオーケストラを演奏している。

「サルサの国でオーケストラかぁ…」

そんなふうにぼんやりしていると、さっそく男が一人釣れた。

 

彼は日本人である私に「日本の文化は素晴らしい!大好きだ」と好印象をアピールしたり、私も彼もツーブロックという同じ髪型に喜んでいたりしていた。

さほど盛り上がりを見せない会話は、彼がこの近くに生バンドのライブハウスがあるという言葉で「そこに行こうか!」と、盛り上がり始めた。

(そうか。彼はここに入りたかったのか)

決してお金持ちではないCUBAの若者のエントラーダ代(入場料)を資本主義国育ちの私が支払う。

 

 

 生バンドの、加えてご陽気なCUBA音楽は否が応でもお尻がむずむずして踊りだしたくなる。

「この席いいかい?」と声をかけてきたイタリア人男性はスタイルよろしすぎるCUBA女性と席に着くや否や舌が絡み合っている。

2人が躍るサルサはもうパフォーマンスの域に達しており、舌の絡みとダンスの絡みは比例するんだなぁ…と眺めていた。

 

「踊る?」とCUBA若者を誘ってみても彼は笑って酒を飲むだけで私の手を取ろうとしない。

(踊らないなら、何でここに行こうなんて言ったんやろぅ…)

 

イタリア人男性が私のお尻のうずうずに気がつき「一緒に踊ろうか」と手を差し出してくれた。

盆踊りの国で育った私が、数日サルサの国に滞在したところで踊れるわけじゃなし。

二、三度つまづきながらも、彼のリードで足も腰も軽やかに踊り続けることができた。

頭で踊っていたものが、心で踊れ、イタリア男性も「ナオミいいよ~♪」と楽しんでくれた。

 

CUBA若者はずっと座ったままだった。

数時間前、私に声をかけてきた時のあの勢いはもうない…。

 

次の日も会う約束をして別れたけれど、私は待ち合わせ場所にはいかなかった。

彼もそこに来ていたかは知らない。

 

なぜ彼は私に声をかけてきたのだろう

 

夜のとばりがおりる頃、家路に向かう車中でもうすっかり記憶にかすりもしない男のことを思い出した。