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井戸寺の郵便切手は弘法大師が掘ったと伝えられる井戸。

 

1687年発行の真念著『四国遍禮道指南』によると…

 
十七番 井土寺 明照寺ともいふ 平地 南むき 名東(みやうとう)郡
※井戸寺ではなく、井土寺になっています。
(十七番 井戸寺 明照寺ともいう 平地 南向きです 名東郡)
 
本尊薬師 座五尺 御作
(本尊薬師如来 座像 約150cm 弘法大師御作)
 
おもかけの うつしてみれはゐどの水 むすへはむねの あかやをちなん
(自分の姿を井戸の水に映して その水に自らの姿が映ればおのれの罪けがれは消えてしまうでしょう)

 

井戸寺の歴史・由来

7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が創造された時期で、律令制もようやく芽生えて、阿波の国にも国司がおかれた。

この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。

寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。

本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。

のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。

この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。

大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。

そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。

 

井戸寺に着きました。

 
 

※2枚並んでいる画像は肉眼で観れる3D画像です。

 

パソコンは画面と目の間を40~50cm、スマホなら25cm位で頭を傾けずに水平にした状態で写真と目の中間位の位置に人差し指を立てて指先をじっと見つめて下さい。

視線が寄り眼の状態になって右目で左の写真を左目で右の写真を向見ている状態です。

 

図3

人差し指の向こう側にぼんやりと3枚の写真が見えて来るので、寄り眼の視線を保ちながら、真ん中の写真に焦点を合わせると真ん中の写真が立体に見えて来ると思います。

 
別格本山井戸寺とあります。
この別格というのはどういう意味なんでしょうね。
 
 
山門越しに正面の本堂が見えています。
 
 
門柱の飾り金具に浮き文字があります。
 
 
こちらは松ですね。
 
 
表札は瑠璃山とあり、その両側に同じ文字と松がありますね。
 
 
 
 
左右の仁王像の前には木の柵になっていて、柵の隙間からではこんな感じにしか写す事が出来ません。
 
門の横から写すとオートフォーカスでは手前の金網にピントが合ってしまいます。
 
 
左側の仁王像も同じです。
 
 
山門をくぐり抜けて振り返ると、山門の裏側に大きな草鞋が…
 
 
左右にあります。
 
 
山門を裏側から見ると大きな赤い扉です。
扉は閉める事はないと思いますが、扉の付いている山門ってあまり見ないですよね?
 
 
 
手水場です。
 
 
大きな石を刳り抜いて作られた立派な手水鉢ですね。
 
 
柄杓の棚は上から吊るされてあり、機能良く考えてあります。
立体画像で観ると空中に浮いて見えますね。
でも一度にこんなに沢山の柄杓が必要なのでしょうか?
私は手水場の聖水は水道の蛇口ではなく、龍の口からの方が良いと思いますが…
 
 
昭和十六年製だそうですが、中央の文字は何なのか全く分かりませんが、梵字でしょうか?
 
 
お参りする前に鐘楼の鐘を撞いてみましょう。
 
※それでは井戸寺の鐘の音を聴いてみよう!
 

鐘に『井戸寺黄鐘調引導鐘』とかかれてありますね。

鐘撞き棒の綱が短く、鐘楼を補強してあるX型の鉄骨が邪魔で軽くしか撞けなかったので、ボリウムを上げて聴いて下さいね。

 

リブログはある日突然膝が痛くなり、階段が下りられない。

1回の施術でどう改善で来たのでしょう?。

 

どくしゃになってね!

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