週土曜日から続いた5連休。今日が最後の日となったが、ほとんど仕事らしいことはひとつもせずに終わりそうだ。

まぁ、そういう時があってもいいさ。

というか、今度の休みは「仕事を忘れなさい」ということだったのではないかと、つくづく思う。

仕事をしなかったかわりに、ここ3日間はとにかくからだを動かすことに専念した。

一つは草取り。おととい、きのうに引き続き、今日も草取りを1時間半ほどした。今日は本丸ともいえる畑の草取り。気合を入れて、できるだけ丁寧にやったところ、予想よりも早く終えることができた。

とはいえ、始めたのが12時だったので(今日は朝から洗濯が続いた)、照りつける太陽光線は強烈。途中、何度か中断して水を飲まずにはいられなかった。

やっぱ、草が刈り取られた畑を見るのは気分がいい。いい加減な草刈りではあるのだが、それでも草ぼうぼうよりずっといい。「よくやった」と自分をほめてやりたいくらいだ。

$いなかパラダイス―辺境からの問いかけ
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夕方になってからは、こちらもきのうに続いてクロスバイクで河原を走った。サイクリングするなんて、何ヶ月ぶりだろうか。長いことクロスバイクに乗っていなかったので、タイヤの空気圧もすっかり減ってしまっていたし、スピードメーターも壊れているのがわかった。

1時間ちょっと走ったのだが、やっぱりこうやって自然の中を走るのは本当に気持ちがいいものだ。なんだか、初心に戻ったというか、いまの仕事をはじめる前の気持ちに戻れたような気がしてならなかった。

つまり、自然に抱かれながらの暮らしを尊び、楽しむという生き方だ。いまの仕事に就いてからというもの、とにかく忙しすぎて、ストレスが半端ではないものだから、そういう気持ちがどこかに置き去りにされていたように思う。

たまにはこうやってクロスバイクにまたがり、自然と対話しながら走るということも必要なんだと改めて気づいたのだった(ただし、久しぶりに乗ったせいで腕とお尻が痛くてどうにもならなかった。慣れるまで痛みは続きそうだ)。


それで、今回、3日間ほどからだを動かしてみてわかったことがある。それは、暑いからといって暑さから逃げていてはダメだ、ということ。

今年の夏、夏風邪にかかったり、夏バテに見舞われた最大の原因はずばりエアコンである。去年までは、あってもほとんど使わないことが多かったので、冷房機の害にやられることはなかった。

ところが、今年は冷房の効いた部屋にいることが多くなり、状況が変化して、からだがついていけなかったのだろうと思う。

もともとぼく自身は暑さも寒さもある程度までなら耐えられる体質。暑いといってもせいぜい33度くらいであって、上海に住んでいた頃の40度近い気温に比べればなんてことはない(ただし、上海時代は近くにスタバやホテルなどがあったので、そこで涼んではいたのだが)。

また、よく訪れた東南アジアの国々の暑さに比べれば、本当にどうってことない。

今回、暑い中、からだを動かしてみて、熱中症にならないかと一瞬心配はしたのだが、幸い、そうはなっていないようだ。ちゃんと帽子をかぶり、途中で休んで水を飲んだりしたし、それなりに注意しながらやったのがよかったのだろうと思う。

要は、自分のからだの能力を信じて、過保護(冷房のある部屋に逃げ込まない)にならないように気をつけるべきだということだ。実際、冷房機の害にあたってからは、事務所の冷房機の温度は29度にしてあり、しかも途中でこまめに切るようにもしている。体感的にはちょっと暑いな、くらいがいちばんいいのではないかと思う(扇風機がまわっているので、そこまでは暑くない)。

暑いからといってその暑さから逃げていては逆にからだを弱めることになるのではないだろうか――今年夏、体調を崩したおかげで、そのことに気づかされたような気がする。

夏は暑いのが当たり前、なのだ。

(注:以上は、あくまでも自分という特定の人間の体質に基づいていっているのであって、当然、すべての人にあてはまるわけではありませぬ。)