8月もいよいよ終わる
夏に大活躍のSもお疲れ様




 夏の疲れか、殆ど病院のお世話にならない私が夜に咳込みが酷く通院
 処方されたのは ↓  


 1回5種類7錠の薬、どんな病気も治りそう 
 昨夜はお酒は「観る」だけ
明日は久しぶりのお連れ様と「軽く」一杯の予定なので完治しまするように



 

 東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダース監督が、東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた映画を観る。

 第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされ、主演の役所広司がカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した。


 東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。



 主人公は銭湯、古本屋、飲み屋などの下町で過ごし、職場は街中のアートなトイレ。

 東京人でも馴染みがない?浅草の地下街に仕事帰りに寄り、昼食は神社の境内。木々を愛し、読書家で知的な雰囲気を漂わせるが、過去に資産家?の家族との確執があるようだ。

 毎朝、近所を老女が箒で履く音で目覚め、同じ事の繰り返し。
 そんな中、無口な彼が人と接した後は顔が穏やかになる。
 小さな喜びの積み重ねが素敵な1日なるようだ。
 多くを求めず、多くを持たない。

perfect days







 先日の甲子園での高校野球では2年生が主力として活躍していた。

 高校スポーツや、大学スポーツで先輩、後輩が切磋琢磨している姿をよく見かける。

 恐らく今の時代は上下関係も厳しくなく友達の延長上の付き合いなのだろう。



 芸能界は未だに芸歴、先輩が幅を利かせているようだ。

 売れていない?先輩でも後輩は「たてない」といけないに違いない。




 私の大学のラグビー部に大阪の有名進学校出身者が居た。

彼に続いて1年浪人して、彼の同僚が入部した。彼は高校日本代表選手。

更に2浪してもう一人入部した。彼は大阪選抜で言動も目立ち活動的であった。

つまり大学3年、2年、1年が高校同級生。

 高校ラグビー部で一番辛酸を舐めていた彼は、現役で大学に合格し先輩になった。

 高校時代スター選手であった2浪した彼が一番最下級生。日本代表選手は1年下。

 練習中は「一応」先輩には敬語を使うが、練習が終われば最下級生は3年生を呼び捨て(笑)

どの業界でも起こりうる関係だ。私が管理職になったばかりの職場は全員年上だった。

「立場が人を作る」と念仏のように唱えていた。

 年上の人はリスペクトすべきだが、仕事となれば別問題。

  先輩風吹かす嫌な奴にならないように常に謙虚にならなくては。









 2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。
 ホロコーストに関わる物語なのに、直接的には収容所は映さないでその問題を提起している。


内容
 1944年、ルドルフ・ヘス中佐は、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所の所長として、収容所と壁一枚を隔てた屋敷で妻と5人の子供たちと暮らしていた。妻のヘートヴィヒは庭師や使用人を使って屋敷周囲の荒れ地を美しい庭園や畑、温室、東屋などに作り変えた。収容されたユダヤ人から奪った世界各国の金や宝石、服や毛皮のコートで贅沢をし、まるで戦争とは無縁であるかのように平和に暮らすヘートヴィヒと子供たち。ルドルフは技術者たちを招き、「荷物」を効率よく処分するための循環型焼却炉の建設に余念がなかった。

 映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。壁の向こうにはまるで何もないかのように暮らす家族たち。しかし、壁一つ隔てた収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族が交わす視線や気配から着実に伝わってくる。

 私は歴史で学んだからこそ、塀の向こうで何が起きているかを想像できる。
 ルドルフの家族は解っているはずなのに目を瞑る。家で聞こえてくるのは、叫び声や怒号、銃声のようなものが混じる。音だけで塀の向こうは異常な状況だと分かる。しかし家族は無関心なのだ。
 都合の悪い事には目を向けない。
 自分達が奪った物を所有していたユダヤ人が塀の向こうに居る事も知っている。
 私自身も解っていながら無関心でいる事が多い。
 目を背けてはいけない出来事を少しでも解決に向けて努力しなければいけない気持ちにさせる映画であった。




 2024年・第77回カンヌ国際映画祭の監督週間で国際映画批評家連盟賞を受賞した映画、

 河合優実の熱演を観た

 
 
 内容
 21歳のカナにとって将来について考えるのはあまりにも退屈で、自分が人生に何を求めているのかさえわからない。何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎなかった。同棲している恋人ホンダは家賃を払ったり料理を作ったりして彼女を喜ばせようとするが、カナは自信家のクリエイター、ハヤシとの関係を深めていくうちに、ホンダの存在を重荷に感じるようになる
 



 

 
 z世代同士の生活の一端を垣間見る。
会話や生活から如何に異世代は違う空間で生きているかを今更に感じる。
彼女の掴みどころの無さは、自信の無さとその不安定な生活から来るものなのか。
 2人の「優男」が今風に感じた。
自分本位の優しさでしか彼女に接する事ができなく、彼女もそれに甘んじる。
 生い立ちからか、元カレとの関係か、抑鬱的な彼女の精神状態を支えるには彼氏には荷が重過ぎる。
 将来、互いに支え合い幸せを分かち合えるパートナーを見つける事は彼女の目標になるのだろうか
 目の前にいるお連れ様も内面に多様性を秘めているのか、お〜こわ