大阪の「ミナミ」は自分にとっては身近な街であった
子どもの頃、母に連れられて心斎橋の高島屋、大丸、そごうとデパート巡り
高島屋のショーウインドウを覗くのを楽しみにしていた
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高校に合格した時に家族で法善寺の界隈にお祝いに出かけた
法善寺には小学校の同級生のお父様(先代桂春団治)が筆をとった看板のある門があり社会人になってからはその門をくぐり、通りのbarに通った。
そしてその高校は「ミナミ」が近かったので街をうろつき、大学生では宗右衛門町のジャズクラブでアルバイトをした。
社会人になってからは先輩に連れられて、先輩も迷いながらミナミの雑居ビルのスナックへ連れて行かれた
そんな「ミナミ」を舞台にした物語を自分の想い出と重ねながら読んだ。
内容
売れない芸人を続ける娘、夫の隠し子疑惑が発覚した妻、父と血のつながらない高校生……
大阪・ミナミを舞台に、人の「あたたかさ」を照らす群像劇。
「なんば花月」や「千日前ユニバース」が登場し「うれない」吉本の芸人が登場する物語は親子の愛情が切ない。大阪で育ちながらも子どもの頃の馴染めなかった大阪弁に対する葛藤も私と同じだ。
ひと昔、一晩中過ごし人通りがなくなり雑然としたミナミの通りを気だるく歩いた。そんなミナミの景色やファミレスが登場し使い方の時代の変遷が懐かしく思った。
男性中心の昭和レトロな背景に、大阪名物?の「オバサン」が主人公になる話も描かれる。
それぞれの物語の主になる場所は道具屋筋、相合橋、道頓堀、黒門市場…
馴染みの場所を背景に人情味溢れ個性的な「ミナミらしい人々」が登場する
最近はキタで飲む方が多いが、今でもミナミは「ふるさと感」がする