奇蹟に入った父、健在の伯父は戦時中広島に疎開していた
疎開先で伯父は俳優平幹二朗と同級生(と言っても知らない方が殆どかも息子の岳大も俳優)



その伯父は疎開先が嫌で小学生一人で逃げ出したと聞く
父は地元の子ども達との確執を話していた
「疎開」は私の近くに存在してきた
その時代の保母さんたちの姿を描く実話を読む


内容 
太平洋戦争末期、子どもたちの命を守った保母がいた。日に日に空襲が激しくなる東京から、園児53人を連れて埼玉の無人寺へ。「疎開保育園」を作る、それはこれまで誰もやったことがないことだった。戦争への怒りと空腹、24時間保育に疲れ果て、もうやめようか?と迷い、それでも―園児たちの命を守り抜いた若き保母たちの戦いの記録。


小さな子ども達が親元を何故離れる事ができたのだろうか

空襲が始まり当時の親は
「私たちが死んでも生き残って欲しいと思いました」
「…ただ生きてほしいと思いました」
と語っている

輝く青春時代を家族を失い24時間勤務で衣食住も不足し一人の時間も全くないという究極の環境で過ごす
不安と恐怖の中、責任感、義務感で保育をした保母達の葛藤は涙ぐましい
そして親から離れて暮らした子ども達は生きることが親孝行

空襲で家族が全滅したった一人残された疎開保育園の「けんちゃん」は保母さんたちに守られ大人になった
戦争が起こしたそれぞれの人生の悲劇は辛すぎる実話だった

映画化された









よく飲むお連れ様も保母さん