みなさん、こんにちは。
こころとからだを癒す
脳神経外科ドクター
永野 修です。
「私のわがままで
今月末に退職します。
皆さんには
ご迷惑をおかけしてしまう
こともたくさんあると思いますが、
どうかよろしく
お願いいたします。
誠に申し訳ございません。」
10年ほど前に
同じ職場の50代の部長が
退職するときに、
病棟の送別会で
挨拶したときの言葉です。
僕は
そのときの
「わがまま」
という言葉に
なにかモヤモヤした感覚
(違和感)を持ったのです。
その部長は
それまでに数1000件以上の手術を
経験され、周囲の医療関係者には
ゴッドハンドとして名が通って
おりました。
その部長に
転職について聞いたところ
「もっと多く手術をすることで
たくさんの患者さんに貢献したい」
と話しておりました。
そして
それが叶えられる病院へと
異動されていったのです。
果たして
このときの部長の行動は
「わがまま」
なのであろうか、
自分の理想を求めて
行動することは
自然なことではないだろうか。
そう思ったのです。
仮に
動物に当てはめたとしても
例えば
サバンナに暮らすシマウマなどの
草食動物は
餌となる草や水がなくなれば
それを(理想の生活)を求めて
大移動をすることがあるのだから
やはり
当然な行動だろうと思えたのです。
そして
同時に
幼少期の出来事が
思い浮かんできました。
「あなたは
お兄ちゃんなのだから
そんな
わがままは言わないの。
ねぇ、わかるでしょう。」
母から言われた言葉です。
たぶん
スーパーやデパートなどで
「お菓子がほしい」とか
「ジュースが飲みたい」とか
「おもちゃを買ってほしい」とか
そんなことだったと思います。
詳しくは覚えていませんが
きっと何回も同じ言葉を
言われているのでしょう。
(そして今、自分も親となって
同じ言葉を息子たちに
言ってしまいます。)
そして
このように思っているのです。
「わがままはよくないこと」
さらに、その言葉には
「周りの状況をよく見て
どうするか考えなさい」
とか
「空気を読みなさい」
とかが
隠されていて
それらの意図も含まれて
「わがままはよくない」
となっていることに気づきました。
どうやら
「わがまま」
という言葉と、
母親から前述のように
言われて(叱られて)
シュンとなった自分の感情や
縮こまった体の感覚が
リンクしていて
わがままを言ってはいけない
といった行動指針が
自分の中に構築されてきたように
思います。
そして僕は
この
「わがまま」
と
「自分のやりたいことを
主張すること」
が混同してしまっていて
特にこの数年間は
自分の意志を口にしたり
行動したりすることに対して
無意識のうちに
抵抗感を持ってしまっていた
ことに気づきました。
実際に
わがまま
を辞書で調べると
他人のことを考えず,
自分の都合だけを考えて
行動する・こと(さま)。
身勝手。自分勝手。
と書いてあります。
そして
今、もう一度
「わがまま」
について
そして
ビジネスマン向けの
自己啓発書などで書かれている
「自己主張する」とか
「自分の好きなことをする」とか
「自分の理想を追い求める」とか
つまり
「自分の行動を
主体的に選択して決めること」
との違いを考えてみました。
その結果、
僕の捉え方はこうなりました。
「わがまま」とは
瞬間的に湧き上がってきた
欲求をもとにして
周囲の状況を鑑みずに
行動をとること。
(○○がほしいといって泣き叫ぶ
こどもの行動など)
その一方で
「自分の行動を
主体的に選択して
決めること」とは
自分の欲求(○○がしたいなど)
に対して、
理性を使ってその欲求を見つめ直し、
自分の信念や信条に従ったもの
(たいせつにしたいもの)
であるならば、
周囲の人間関係や社会環境などを
加味した上で行動すること。
になりました。
これって
「おとなのわがまま」
と言ってもいいかもしれませんね。
「こどものわがまま」
と
「おとなのわがまま」
こうやって
分けることで気持ちが
すっきりしました。
きっと
このブログを書いている僕は
「おとなのわがまま」
を言いたくなってきているので
しょうね。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。