みなさん、こんにちは。
こころとからだを癒す
脳神経外科ドクター
永野 修です。
今日は
生老病死の『生』がテーマです。
私は
医師3年目に小児専門病院へ
1年間、脳神経外科医として勤務した
経験があります。
そのときの経験を
ブログに書いています。
『いのちのつながり』
https://ameblo.jp/osamu3150/entry-12407114479.html
その同時,
自分の心に強く残った疑問,
「なぜ,この子はこの短い時間で
一生を終えなければ
ならないのか.」
これは脳腫瘍が原因で
わずか数年で命を落とす
子どもを診療したことから
実感したことです。
この問いを持ちながら
医師を続けて20年が経ちます。
その中で
この経験をセミナーの友人に
話したところ
2つの映画を教えてもらいました。
映画『うまれる』
http://www.umareru.jp/umareru/whatisumareru.html
映画『かみさまとのやくそく』
2017年5月に
映画『うまれる』
そして
先日は
映画『かみさまとのやくそく』
を観る機会がありました。
映画『うまれる』は、
「子供は親を選んで生まれてくる」
という胎内記憶をモチーフに、
命を見つめる4組の夫婦の物語を
通して、【自分たちが生まれてきた
意味や家族の絆、命の大切さ、
人との繋がりを考える、ドキュメン
タリー映画】です。
この時は
産科医で「胎内記憶」の研究者である
池川明先生の講演があって、
その後に映画を鑑賞しました。
(池川 明 先生)
映画の中では
「○○はねー、お空の上から
どの人をお母さんにしようか
探していたの。そしてね、
優しそうできれいな人にしよう
って思ってお母さんのお腹に
入ったの。」
と話すこどもがいたり、
そのようなことを話すこどもは
決して珍しくないと
池川先生が講演されていたりして
「子供は親を選んで生まれてくる」
ということがあるのだろうかと
当初は思っていたものの、
徐々に
正しい、正しくないは別として
そのような考え方があっても
面白いな、楽しいなと思うように
なりました。
そして
この映画の中の4組の夫婦
「両親の不仲や虐待の経験から親に
なることに戸惑う夫婦」
「出産予定日に我が子を失った夫婦」
「子どもを望んだものの授からない
人生を受け入れた夫婦」
「完治しない障害(18トリソミー)を
持つ子を育てる夫婦」
の物語を通して
自分の疑問を考えました。
そしてこのように
そのブログに書きました。
『いのちのつながり』
https://ameblo.jp/osamu3150/entry-12407114479.html
「なぜ,この子はこの短い
時間で一生を終え
なければならないのか.」
にも,ようやく長い年月を
かけて自分なりの答えが
見つかってきたように
思えています.
そのひとつは
命を失ったことは悲しく,
辛いことには変わりない
けれど,その悲しみへの
焦点を少しずらすと気づく
ことがあると分かった
ことです.
それは悲しみの奥には
愛や喜びなどの失われる
ことのない経験があること
に気づいたのです.
例えば,その女の子で
あれば,ぬいぐるみで
遊んで一緒に笑ったことや,
抱っこしてあやしたときの
鳴き声とか感触とか,痛い
注射を我慢して頑張った
ときの表情とか,それらの
愛おしい時間を経験した
こと.そしてそれが,自分
の記憶の中にあること.
この患者さんと関わった
時間を慈しむ感覚を自分の
中に残して,次の患者さん
に出会って診療を続けていく.
それが
私にとって
患者さんのいのちを
つなげるということになる
のかもしれないと思うよう
になってきたのです.
これは
その子たちから私が
受けとったメッセージで
いまでも
そのこどもたちと触れ合った
感覚は体に記憶されています。
そして
今回
映画『かみさまとのやくそく』
を観て、また別の気づきが
でてきました。
それは次回に書きますね。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。