国際都市タンジール(モロッコ)
テーマ:ブログ6月30日(19時30分)
タンジールには、タリファ港から高速フェリーでわずか35分で着きます。
フェリーですので、もちろん、車も運べますが、何といっても短時間の滞在ですので、借りた車はタリファの港近くの駐車場に預けてください。
この街は、カサブランカとならび、モロッコでは最も近代的な都市ですが、両市ともこの国の首都ではありません。首都はもう少し南に下がった「ラバト」です。
タンジールは、よく国際都市といわれますが、その理由は、第二次大戦後、しばらくは国際管理下にあったからです。
また、第一次大戦中、ドイツの女スパイ「マタハリ」が暗躍した街としても知られ、市の中心部には彼女と縁のあるカフェも残っています。
タンジール港は、スペインやジブラルタルからのフェリーや外国船で賑わっているものの、深い街の歴史を感じさせるものはほとんどありません。
街の歴史がいっぱい詰まっているのは、やはり旧市街、港と国鉄タンジール駅の西側に連なる「メディナ」と「カスバ」です。
駅前から、お世辞にも綺麗だとか瀟洒なとは形容し難く、はっきりいえば、薄汚い数軒のレストランを横目に、緩やかな坂を50mほど登ると、「メディナ」の正門とも言える「バフルの門」に着きます。
「メディナ」とは何か、ガイドブックなどでは様々な説明がされていますが、城壁に囲まれた居住区のことで、アラブの国のちょっとした都市ならどこにでもあります。
城壁の内部は、例外なく袋小路や迷路のような路地が無数にあり、ちょっと油断をすると、すぐ迷子になってしまいます。
短時間で効率よく中を見物するには、入口付近に屯しているガイド(?)に頼むのが良いでしょう。
一見、アラブ人は目付きが鋭いので、胡散臭く見えますが、意外と親切で、ガイド料といっても東京やパリとは違います。2時間ほど付き合ってもらって、2000円もあげれば大喜びします。
個人的にぶらぶら歩きをするよりは安心です。
私は、タンジールを訪れるのは4回目です。
城壁の外側は急ピッチで近代化が進んでいるようですが、「メディナ」の中は、時が止まったように、中世そのままで、といっても、私は中世を知りません。しかし、ガイドブックにはそう書いてあります。
以前と比べ、格段に変化しているな、と感じるのは女性の服装です。昔はすっぽりと顔を隠していましたが、今は、特に若い女性ははとんど隠さず、GパンやTシャツで闊歩する姿が目に付きます。
どこをどう歩いてきたのか分からないうちに「カスバ」に出ました。
「カスバ」とは、往々にして誤解されて使われていますが、元もとの意味は城壁に囲まれた地域、外敵から保護された場所の総称です。城砦そのものを指す場合もあります。
また、城壁に囲まれた旧市街地「メディナ」と混同されることも少なくありませんが、いずれにしても、魚に例えるならば、ブリとハマチほどの違いもありません。
要するに、その都市の城壁に囲まれた旧市街にあって、市場やバザールがひしめき合い、住民の生活が凝縮されているところ、と思えばいいでしょう。
‘‘ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く・・・♪” こんな退廃的な歌がはやり、カスバといえば場末と言うイメージも持ちかねませんが、決して場末というのではなく、むしろ城壁に守られて生活する金持ちの住む地域、という感じがあります。特に、タンジールのカスバはその典型で、アメリカ人やフランス人の豪邸も散見できます。
カスバを上りきったところが、旧市街一の高台になっていて、雄大な大西洋と地中海を望み、その向こうには、スペインの山並みが連なる絶景が広がっています。
わざわざタンジールまでやってくる目的は、アフリカの大地をしっかりと踏むと言う経験もさることながら、ヨーロッパやアジアとは明らかに違う異国情緒を味わうことだと思います。
フェリーの時間を調整し、夕陽の沈むころタリファに戻りますと、タリファからカディスの一帯は、「コスタ・デ・ラ・ルース」(光の海岸)と呼ばれる、サンセットの素晴らしいことで知られていますので、余裕があれば、ローマの統治時代から本マグロ漁が盛んだった「サアラ・デ・アトゥネス」まで足を延ばしてください。
浜辺で見る沈む夕陽は最高です。
もちろん、タリファからでも楽しめますが、サアラまではわずか30km、指呼の間です。
3カ国日帰りの旅もこれで終わりです。