『日本橋で夜噺』へお越し下さいました皆様、ありがとうございました。お陰様で無事初会を盛会にする事が出来ました。是非是非裏を返して戴きたいと願っております。
会の冒頭で、私の勉強会に対する思いを、少し話させて戴きましたが、此処でもう一度。
まだ私が大学生の頃、田端の神社の社務所で『さん彌小勇の会』という会に良く出かけていました。小はん師と小満ん師の二人会で、毎月開いてた様に記憶していますが、何しろ50年も昔の事ですから間違っているかも知れません。
その会の中入の時に、お茶と茶菓子が出て来ました。お茶はお代わりが出来ます。茶菓子は羊羹だったり饅頭だったり。それがとても印象的でした。
私が噺家になったのもこの会が切っ掛けなンです。この会のビラを書いていたのが、学校は違いますが同学年の須賀君で、後に橘右龍となりました。彼にニッポン放送のアルバイトを紹介して頂き、それが「演芸大行進」という番組でした。そして、二人会の前座のせん松(せん八)さんと仲良くなり、円菊師との仲介をして戴き、噺家となりました。その後もこの会の小はん師、せん八兄、右龍君には大変にお世話になりましたが、残念ですが皆さん先に逝かれてしまいました。
私が勉強会をしようと思った時、いつもこの会の事が頭を過ぎり、中入にお茶茶菓子を出したいと思いました。で、お茶の方は、昔池袋演芸場が3階だった頃、小さな急須でお茶を売っていたンです。丸いお盆に湯呑みと乗せてネ。それをやりたかったンですが、小さなアルミの急須でも結構高いンです。とても1人ずつに出せません。茶菓子ならなンとかなるかな?と。
まだ二つ目の頃は、そんな事をする余裕が有りませんでした。だから先輩二人は凄いナと思います。
10年余り前に東北沢稽古会を始めました。この時お茶菓子を出す会にしようと決めました。歳をとって、勉強会と言うのは営利目的では無い、勉強させて戴くのだから、逆にこちらが授業料を払わなくちゃ、という気持でさせて戴こうと思う様になりました。ですから交通費、会場費さえ戴ければ、後はお客様に還元しようと。そこで東北沢稽古会の時は、暮の会の時に協会のカレンダーを配布したりしていました。
ですがそれがいけない事も有りますね。何年も続けているウチに、自分に甘えが出て来ちゃう。お客様から木戸を頂戴している自覚が薄れちゃう。いい加減な噺をしたり、稽古不足で高座に上がったり。
今までを深く反省し、心機一転、末永く会が続く様頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します🙇♀️