ご機嫌菊龍気楽な毎日

ご機嫌菊龍気楽な毎日

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 この噺、ネタ下ろしは74年の4月11日、名古屋大須演芸場の第二部でした。だからそれまでに教わったと思うのですが、ネタ帳が見つからないンですよねぇ。大体書いて覚えるンで、何かに書いたのでしょうが、そのノートが見つからない。新聞広告の裏にでも書いたのかな?
 この噺、無筆のマクラを使うので、ボーッとしてると間違えて手紙無筆に入っちゃいます。
 噺は覚え易いですよね、業平の『千早振る 神代も聞かず竜田川 唐紅に水くぐるとは』の歌の文句さえ覚えれば、あとはそれにそって話を進めるだけなんですから。
 本当は『ちはやぶる』と、にごって発音するンですよね。でも落語だと『ちはやふる』とにごりません。まァ、『ふる』でないとこじつけが上手くいきませんもんね。登場人物も二人しか出て来ないし、易しい噺です。ただ、それだけに単調で味気ないものになってしまいます。
 師匠は身体全体を使い、フリを大きくし、声の抑揚を駆使して演るよう教えてくれました。どんな噺でもそうなんですが、登場人物をちゃんと設定してないと平坦な噺になっちゃいます。二人しか出て来ないンだから、二人の対比をはっきり出さなきゃァダメですよね。
 サゲが余りよくないンですよねぇ。皆さん色々と挑戦なさっている様ですが、未だ良いサゲは見つかってない様ですね。

 (  2011年10月26日  )

 74年に習った最後の噺は、この『桃太郎』の様です。で、この『桃太郎』は大須演芸場8月中席8日目がネタ下ろしになっていますので、多分大須で師匠に稽古をつけて貰ったのだと思います。
 この年は4月と8月、大須へ連れて行って貰いました。東京ではまだ見習いでしたが、此処では立派な前座として、いや、前座より待遇が良かったかも知れません。
 この頃は出演者はみんな寄席の楽屋に泊ります。師匠格は鍵付の個室で、それ以外は大部屋に泊りでした。勿論オイラも大部屋の方なのですが、寝る時以外はずっと師匠の部屋にいました。師匠がいれば稽古が出来るし、いなければ師匠になった気でいられます(だって個室にいられるンですよゥ)。
 嬉しい事に、師匠は時々外泊する事がありましたから、その時はオイラがその部屋に寝られます。風呂も食事も付いているので、経費は一切かかりません。夜は時々師匠が飲みに連れてってくれました。
 演芸場を出て左に向かって突き当たりのT字路の向かい側にある居酒屋、まだあるのかナァ~。そこの牛すじと豆腐の田楽(土手焼)が旨かったなァ。
 おっと、噺の稽古の話をしているンだっけ。え~、4月は『たらちね』『浮世床』『千早振る』『鮑のし』『豆や』の五つの噺を繰り返して演っていました。帰って来て5月になった途端、『饅頭恐い』を演っているので、きっとこの大須の十日間で覚えたンでしょうね。
 で、この8月の大須なんですが、ちょっと妙なんです。一日二回なのに、一回ずつしか上がってないのです。一部と二部交互に上がっている様なので、ひょっとしたら前座が二人だったのかもしりません。
 あっと、余計な事書いてたもンだから仕事に行く時間になっちゃった。またネ。

  (  2011年10月27日  )
 この噺は師匠に習った覚えがない。誰かに習いに行った覚えもなく、75年2月6日池袋演芸場昼でネタ下ろし、9日に東横食堂で二回目、その後ずっと演ってなくて、三回目が5月14日の大須演芸場で演ってます。で、その後又間隔が空いていて7月16日鈴本の夜席、そしてその後の記録はありません。
 ちゃんと習っていないので演ってないのでしょうかね。高座の袖で師匠先輩方の噺を聞いていて、自然に覚えてしまうなんてぇ事があります。まァ、仕事しながら聞いているので、一席をちゃんと聞く事は出来ませんけど、毎日ずっと噺のBGMがかかってる様なもンですから、知らぬ間に頭に入っちゃうンですよね。一種のサブリミナル効果ってぇ奴ですかね。
 間が空いていたってぇのは、きっと余り受けなかったンでしょう。ちゃんと習ってないので自信が無かったンでしょうね。入門して一年半ですから、教わりもしないで演るなんて生意気ですよね。こんな噺、すぐ出来らァなんてンで、演ってみたら酷い目に遭っちゃったってぇトコなんでしょう。確かにね、『寿限無』は、みんなが良く知ってる噺だし、小学生だって言えるンだもン。簡単な噺の様に思いますよ。でも、みんなが知っていて、簡単だから演ると難しいンですよねぇ。この噺、前座さんが演るより、老齢の師匠が演った方が面白いと思います。
 さて、見習いから前座になって、入門して三年目にもなると他の師匠先輩に稽古をお願いする様になりました。

 (  2011年10月29日 )