【本日の一枚】剱岳御来光 | Photo Life in Toyama

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富山の写真家 林治のブログです

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さて、今日の本日の一枚は「剱岳御来光」です。

 

 

撮影:2024年3月15日

 

剱岳とは

 

剱岳は、広義の意味では立山連峰に含まれ、日本百名山の一般登山道としては最も難易度が高い山と言われています。

また、一般に槍ヶ岳・穂高岳と共に岩山として知られており、岩と雪の殿堂と呼ばれている日本有数の峻険な山(標高2,999m)です。

 

そして、険しさゆえに明治時代に入っても人跡未踏といわれた剱岳。その初登頂は「剱岳・点の記」に描かれているように、初登頂を目指した日本陸軍陸地測量部の柴崎芳太郎たちが登頂した時、既に山頂に平安時代(1,000年以上前)のものと思われる錫杖頭と鉄剣が残っていたことは有名な事実です。これは今でも「日本山岳史上最大の謎」とされています。

 

また、立山信仰では立山は極楽浄土の山とされていましたが、剱岳は登山禁忌の地獄の針の山とされていたことも有名です。

 

*(参考)立山博物館「立山信仰と剱岳」

https://jsurvey.jp/tsurugidake/topics200902.pdf

 

ではでは、実際にはどんな山なのでしょうか。

※今回は劔岳の表記を剱岳に統一しています。

 

初めて登った思い出

 

私が初めて剱岳に登ったのは41歳のとき。高校生の頃から憧れていた割には遅い登頂となりました。

ルートは、1日目に室堂から剱沢テント場へ入り、別山の下で軽く岩トレをしてからテント泊。2日目に剱沢から源次郎尾根経由で山頂へ登ったあと一般ルートで剱沢へ戻り。3日目に剱沢から室堂を経由して大阪へ帰宅しました。

 

その時は源次郎尾根途中からリーダーがルートを誤ったため苦戦したのち、あわや惨事というトラブルがあったため山頂到着が遅れ19:00頃。日暮れが迫る中、山頂まで無事に辿り着いたことに感謝するとともに、これからの夜間下山の安全を祈願して山頂の祠に手を合わせました。

 

カメラ

 

そして、そこから暗闇の中、足元をヘッドランプで照らしながらカニの横ばいなどを降り、剱沢のテントに戻ったのは午前2時近かったと思います。それから食事をしたのち数時間仮眠をとって朝剱沢を発ちましたが、最後に剱岳山頂の方角へ向かい手を合わせたことはよく覚えています。

 

富山への移住

 

それから20年弱の年月が過ぎ、会社勤めの箍が外れたと同時にやっと富山へ移住することができました。

もちろん、初めて剱岳を見て以来その姿に憧れた高校時代からの夢がその源です。

 

しかし移住後に「御礼が言いたい」と思いかなり探したのですが、初めて剱岳に登った時のリーダー(当時富山在住)を探し出すことはできませんでした。

 

剱岳山頂の祠

 

そんなある日、富山・立山町で立ち寄った神社の一角に、なにか見たことがある箱のような物体が置かれていました。

立山雄山神社の境内でのことです。

 

一目見てすぐに分かりました。

それはなんと20年前のあの日、夕闇が近づく剱岳山頂で手を合わせた祠でした。

 

そしてその日のことを思い出し、ゆっくりとゆっくりと感謝の気持ちを伝えながら祠に手を合わせました。

今では引取り手がない祠として無造作に境内に置かれていますが、私にとっては「いつでも会いに来れる。御礼に来れる。」という喜びが大きい再会でした。

 

*雄山神社 立山大権現 芦峅中宮 祈願殿

http://www.oyamajinja.org/kiganden.htm

 

カメラ

 

※剱岳山頂に置かれていた祠は1957年に剱岳に設置され、2007年にヘリで降ろされるまで実に50年もの間、あの剱岳で登山者を見守っていたとのこと。

そして"剱岳点の記"で知られる剱岳初登頂(実際は違った)が1907年なので、2007年は剱岳測量100周年記念の年。

この年に様々な記念事業が行なわれ、その一環として剱岳の標高が以前の2,998mから2,999mに修正された年でもあります。

 

*参考資料:公益社団法人 日本測量協会HP「劒岳の祠を取材」(PDF)

https://jsurvey.jp/tsurugidake/topics200804-1.pdf

 

そしていま

 

再会から5年ほど経ちましたが、それ以来、何度も祠に会いに行っています。

また、剱沢をはじめ剱岳と立山周辺には色々な撮影で訪問させていただきました。

 

もうあれほど激しい山行をすることはなくなりましたが、剱岳の山頂には2代目の祠があり、初代の祠が麓でそれを見守っている。


今も荘厳で見飽きることのない剱岳の姿。そして、今自分が剱岳の麓の街で生活している事実。

とても不思議な縁を感じています。