全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。静岡県の風景になります。


下田港 静岡県下田市柿崎間戸ガ浜
「まどが浜海遊公園」にて、右奥に見える像は

龍馬志の像
坂本龍馬が下田の港を眺めていますね。
弓ヶ浜 静岡県南伊豆町湊    (2021年1月撮影)
南伊豆で最も南にある海水浴場で、美しい海岸線が1kmも続くようです。
前回のブログで、ここから見える大島などの伊豆諸島を載せているので今回は省きます。
淡島 静岡県沼津市内浦三津    (2021年2年2月撮影)

長浜城跡 静岡県沼津市内浦重須
戦国時代に関東一円を治めた後北条氏の水軍の拠点とされた城跡にチビと散策して来ました。
第四曲輪
第四曲輪は長浜城の中でも小規模の曲輪ですが、この位置から尾根伝いに登ってこようとする敵をここで撃退する役目を担っていたと考えられています。第一 曲輪から第三曲輪までは比較的短い距離で並んでいますが、第四曲輪は、やや大きめの「堀切」を挟んで、第三曲輪と離れて築かれており、第三曲輪より8m ほど低い位置にあります。他の曲輪と異なっている特徴として、この曲輪の土塁は単に土を盛るだけではなく、凝灰岩の岩盤を削り残すことで土塁としており、かつての土塁の幅は約5.5m、曲輪中央部との高さの差が約1.5mもあったと考えられます。狭い第四曲輪において、全体の面積に占める土塁の割合が非常に高く、生活よりも防御に重点があったようです。土塁の頂部に1基だけですが柱穴が確認されており、これは、何らかの防御施設の痕跡を示しているのかもしれません。
跳ね橋と虎口跡
戦国時代の山城には、尾根伝いに攻めてくる敵を食い止めるために尾根と直交する形で掘られた大きな堀。「堀切」という施設がみられます。長浜城が築上されてから間もなく、 この場所には第二曲輪と三曲輪とを切りはなす「堀切」が設けられ、これは三曲輪と第四曲輪との間に残っている「堀切」と同じく、岩盤を深く切り込んだ大きなものでした。発掘調査によって、第二曲輪側の壁には底から約1.3mの高さに岩盤を堀り残した幅約1.2mの段が確認され、さらに、この段には土塁に沿って約2.1m間隔、固い岩盤を丁寧に掘った径約0.8m、深さ約1.3mの柱穴が2つ見つかりました。 太く高い2本の柱が立てられていたことがわかり、跳ね橋の主柱だったのではないかと推定されました 。
第二曲輪跡
第二曲輪は長浜城のなかで最も広い平面で、 発掘調査によって180基ほどの穴が発見されました。ここには掘立柱の建物が建っていたと考えられます。柱穴の痕跡は第二曲輪全面に広がるのではなく、西側よりにかけて一部密集しながら、細長く広がっていました。このことから、建物は少しずつ位置をずらしながら何回も繰り返し建て替えられたと考えられ、さらに柱穴の配置から南北軸にする建物と、それに直交する東西軸で建てられた建物があったと推定されました。ここでは、最大の大きさである第1号建物とそれに直交する第6号建物の柱を復元表示しています。建てられていた時間や建物の性格を推測できる遺物の出土が少ないため、正確なことはわかりませんが、兵舎や食料庫などの建物であったと考えられます。
堀切
風景説明板
第一曲輪土塁と塀跡
長浜城の中で最も高いところに位置する第一曲輪からは、北条氏の敵である三枚橋城がよく見えます。ここでは、三枚橋域の監視や水軍の指揮が行われていたのでしょう。第一曲輪には西側から北側にかけて、土塁が「L」字状に設けられています。また発掘調査によって東側に岩盤の安山岩を掘り込んだ90cmほどの大形の柱穴が2基と、南側から西側にかけて「L」字状に延びる小形の柱穴列が発見されており、大形の柱穴は「門」、小形の柱穴列は「塀」と推定されました。この2つの組み合わせによって、第一曲輪の中には周りからは見えないように囲われた特別な空間が設けられていたと考えられます。城兵や水軍に対して命令を出す人物が第一曲輪にいたのかもしれません。
櫓の下にもいくつかの曲輪があり、海へと続きます。
第三曲輪跡
第三曲輪は、弁天社の祠の南側に見える掘削 から、大部分が削り取られていると推測されています。当時の地形で残っているのは、この説明板が立つ南側の一部だけで、戦国時代の第三曲輪の平面は祠が建っている高さではなく、現在地の場所の高さで生活がまれていました。 曲輪の内部からは、直径約50cm掘立柱の柱穴が並んで発見されており、掘立柱建物もしくは柵が存在していたようです。この曲輪も他の曲輪と同様に重須側にのみ土塁がめぐっています。特にこの説明板が立つ地点からは、土塁や柵で身を守りながら、大手口へ登ってくる敵を上から見下ろして、側面攻撃を浴びせる仕組みをとっています。この側面攻撃の仕組みは、「横矢」と呼ばれ、北条氏の城郭で盛んに用いられた方式であり、第三曲輪、虎口(出入口)、第二曲輪の三地点を組み合わせて、防御機能を果たしていました。
弁天社
長い説明は説明板によるものてす。