竹内街道・横大路(大道)
大阪府太子町竹内を通る大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 km この国がまだ日本が名乗る前日本最古の街道である。 (Wikipedia抜粋)
ちなみに左側の常夜灯は明和八年卯七月吉日とあり、西暦1771年の248年前からこの街道に立ち続けている。
竹内街道・横大路(大道)
この街道の右側の建物は「綿弓塚」の休憩室になっている。
説明文
綿弓塚休憩室
松尾芭蕉が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑です。句碑の建つ庭と近くの民家を整備して休憩所にしている。
綿弓塚
芭蕉は、1684年に竹内を訪れ、當麻寺に参詣して諸仏を拝んだと言います。その後も度々この地を訪れ、孝女伊麻にも会いました。さまざまな句を残し、中でも「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」という俳句は有名です。
この休憩所は、約百年前に建てられた高松酒造という造り酒屋の建物を改修して整備された物で
創業は江戸時代で芭蕉のころからあったといわれ、100 年以上前に廃業しそれ以降は民家として使われていた。
この囲炉裏は冬には火が入るのかな?
この日は誰もいなかったので、詳しいことは分からない。ここにはトイレが有るので、つねに開いているのかも知れない。
綿弓塚の庭
ちょっと残念なことに手入れが行き届いていないので、草が生い茂っていた。
竹内街道・横大路(大道)
大阪府太子町山田を通る。
古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えた。中世には経済都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに様々な表情を浮かべる。1400年の歴史の移り変わりを周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道。 (竹内街道・横大路活性化実行委員会ホームページ抜粋)