水都大阪というだけあって、大阪には現在もたくさんの橋があります
今はひっそりした橋ですが、
この橋の歴史を知って、また大阪の知識が増えました
それは高麗橋(こうらいばし)
江戸時代、大坂で重要な橋のひとつ。
もちろん幕府が架けた12の公儀橋のひとつです。
現在も東横堀川(ひがしよこぼりがわ)にかかっています
東横堀川は、豊臣秀吉の大坂城築城に際し、外濠として掘られた河川です。
そして江戸時代、この高麗橋が各地への距離計算の起点だったそうです
江戸から出発する東海道五十七次の終点でもあります
江戸時代の公儀橋は、町人橋(町人が架けた橋)と区別するため、
親柱の頭部に擬宝珠(ぎぼし)が付けられたそうです。
1604年の銘のある鉄製の擬宝珠が大阪城天守閣に保存されているそう。
今度、天守閣に行ったら見逃さないよう見学しよっと
この場所は大阪城から西に約1kmのところです。
里程元標跡
(りていげんぴょうあと)
「明治時代に高麗橋東詰に里程元標がおかれ、西日本主要道路の距離計算はここを起点として行なわれた」と書いてあります。
ちなみに現在の大阪市の道路元標は、梅田新道です。
高麗橋から2kmくらい離れているところです。
高麗橋は明治3年に大阪最初の鉄橋に架け替えられたそうなので、
明治初期もこの場所は重要なところだったことが想像できます
現在の橋は、昭和4年の鉄筋コンクリート製です。
灯ろうのような柱は、西詰にあった櫓屋敷を模しているそうです。
高麗橋のすぐ近くに水門があります。
東横堀川水門
平成13年にできたそう。
高潮の防御、水位の制御の役割、
また水質の浄化機能や閘門機能なども備えているそうですよ
亀が泳いでいました~
川の色は微妙です
近くに水門をモチーフにしたモザイクタイルがありました
管理橋と水門の向こうに高麗橋が見えています
ご覧のように東横堀川の上には阪神高速が走っています。
戦後の高度経済成長期に造られた都心部を走る高速道路の高架、
今となっては残念な景観です...
せっかくの高麗橋もこんなありさま