ただ、一緒にいてほしいだけ。 | アラカンからの『安心暮らしのつくり方』

アラカンからの『安心暮らしのつくり方』

高齢になっても住み慣れた環境で安心して暮らすためのヒント集

最近、母の寂しん坊病がひどくなってきた。

 

「お母さんに毎日電話かけるのもどんなものかね。」

 

姉が困惑気味に電話で言ってきた。

 

安否確認を兼ねて毎日お昼休み時間に電話をしている姉に

 

「あんた、今どこまで帰ってきたの?」

 

と聞いてくるのだそうだ。

 

まだ千葉だよ。今度帰るのは〇〇日だよ。

 

というと、寂しそうな声で

 

「そうね。まだ帰ってこんたいね。」

 

というのだそうだ。

 

私には、もうダメ。私もあとどれくらい持つか分からないよ。

と、今にも死にそうな声で電話をかけてくることが多くなった。

 

昨日姉が実家に帰ったので母の様子を聞くと

 

「お母さん元気よ。今にも死にそうな声で電話かけるから心配したけど、

なーに、よく食べるし、痩せちゃあいないし。

まだまだ大丈夫よ。」

だそうだ。

 

よかった、安心したよ、といったものの、

言っても私も姉も実家にいるのはせいぜい4日か5日だけ。

それ以外はずっと母は一人だ。

 

身体の衰えからくる節々の痛さや不自由な動作。

最近は物忘れがひどくなってきたことを自覚しているからそれも。

母は不安と向き合いながらひとり耐えているから

私たちがいたらいいのにと

思いは強くなるのだろう。

 

「元気だとしてもお母さんの一人の不安は解消されるわけじゃないからね。」

「せめて耳が聞こえたら、お母さんも人と会話ができるから

もう少し違うんだろうけどね。」

姉と電話越しにそういいながら、どうしたものかと考えている。