効率が悪くて儲けが少ないですねと、派手なネクタイを見せびらかすかのように胸を張りながら営業二課のなんちゃらとかいう、何て名前だっけ、ダサすぎる失敗キラキラネーム、どちらかというとムカムカネーム、あるいはイライラネーム、ともかくぶん殴りたくなるような名前の男は話す。こいつ、胸を張っているくせにこっちの目を見ようともしない。
それにしても、こんな下っ端が言いにくるのか?なめられたものだ。これまでさんざん説明してきたことはいったい何だったのか?半月ほど前、最初に食いついてきたのは、こいつの方だろうが。そのときは、すべての指が脱臼するんじゃないかと心配するくらいの揉み手をして、失神したんじゃないかってびっくりするくらい白目をむいた上目づかいをして、歯茎の8割がたをむき出しにした不気味な愛想笑いしていやがったじゃねぇかよ。それが今日は手のひら返しのお手本ひな形見本市ぢゃねぇかよ、とここまではぐっと腹の中で呟いて、それから起死回生奇跡のサヨナラホームランの可能性を信じて、温和にお話ししました。
「それは当然、御社で充分議論を重ねての結論だとは思いますが、できればどのようなプロセスで導き出されたものかお聞かせ願えませんでしょうか?」
この精神状態なのに我ながらなかなかよくできビジネス会話、しかしネクタイ野郎はこう言った。
「いやぁ結局は費用対効果っしょ、これ営業の基本レベルっすよ」
丸ゴチック体の「く」の字を上下左右に並べた怒りマークが浮かんだこめかみをぴくぴくさせながら言った
「では、あなたご自身の単独判断ということで?」
「当たり前っしょ、基本レベルなんすから」
丸ゴチック「く」の字4個セット×2は左右のこめかみに深く深く埋もれていく。
「わかりました、では、この話しはなかったということで」
すると、初めて営業マンらしいセリフをほざいた。
「はい、またわたくし共で御社のお役に立てられることがありましたら、ご連絡を下さい」
金輪際、お前がお役に立つことなんかないだろう、かわりに自殺してお前の夢枕に立ってやる、それくらいのことしか思い浮かばず、ますます腹の中の臓物がむかむかしてきた。そもそも俺は商談の際の「御社のお役に立つ」ってセリフが大嫌いなのだ。お役にってなんだよ、奉仕活動か、ボランティアか、けっきょくは利益効率で締めくくるくせに。費用対効果?そんなのは引き算しかできない奴のいうセリフだ…ああ、いかんいかん、怒りでいかれてしまった、ボクの頭。
我が社は、といっても社長の俺と専務の妻の二人だけのチョー極細零細企業なのだが、そのナノ繊維みたいな零細我が社は薬用植物ならびにその成分の販売を営んでいる。一応、特許商品もあって、そこそこ…というより、こそこそって感じ、でも一定の供給はあって、それでもって我々夫婦は呼吸しているようなもの。こつこつとやってきたからこそ、こうして生き続けられているのではないかってことを伝えたくて、妻には「継続は力うどんなり揚げ玉も入れてね」とか笑わせて場を和ませようとわけの分からないことを継続的に語っては、妻からは継続的に軽蔑されている次第でございます。
特許を持っているのは、加齢による視力低下を抑制する(あくまでも個人の感想です)といわれている成分、ピオノメトドキシン。こ、これってひょっとしてたいまみたいな?まりふぁな?かんじゃ?はしし?どぎまぎ、ああ、ちがったみたいな、けどなんかやばいしるがでてきたみたいな…みたいに、「みたいな」だらけで漢字やカタカナで変換してはいけないワードが散らばったようなイキサツで見つけた成分が、なにかの弾みで、あるいはなにかのついで、ひょっとしたらなにかの手違いで取得できたのかもしれない、と我ながら疑心暗鬼っぽいこの特許、しかしそれだけが命綱の我が社なのです、みたいな。
さっきまで、あのネクタイ野郎と商談をしていたのは、我がピオノメトドキシンを使ったサプリの開発だった。最近は類似したものが市場に溢れていて、新規参入は無理じゃね?とはいうけれど市場開拓はおたくらの仕事じゃね?他に別の効用があればいいんじゃね?頻尿とかEDにも効くとか言ってみれば?えー、効くのか?えー、知らん…そんな不毛な会話の果ての、いや、もちろんこんなタメ口ではなかったが、内容はそれ以下の商談が破断になったというわけだ。ショウダンハダン、シューマイウマイ。
外に出るともうとっくに日は暮れていた。今夜は専務で妻で同居人のつまり奥さんはいない。彼女の実家のお義母さんが体調不良なのでお義父さんの面倒を見なきゃって実家に行ってしまったのだ。お義母さんは最近になって目の調子も悪くなったらしい。そこで、妻に我が社自慢のピオノメトドキシンの原液を持っていくように勧めたのだが、「そんなっ!」と絶叫したっきり口をきいてくれなくなった。意味わからん。とういうことで腹の中がもやもやし続けている今日このごろです。たまに外で酒でも飲んで帰ろう。
真っ赤な看板を掲げ、最近あちこちにやたらめったら増え始めたチェーン店のピッカピカネオンが見えてきたが、そんなところ行くもんかと思って視線をずらすと、隣にちっちゃな居酒屋があるではないか。ピッカピカネオンのハレーションに邪魔されているのでよっぽど目を凝らさなければ気づかないくらい地味な店だった。生意気にも営業中なんて書いてあるから営業中なのだろうって、ドアを押したが開かない。あれ?とか引っ張ってみても開かない。まさかと思って左にスライドさせたら開いた、ガラガラって田舎臭い音をたてて。店内はムッとして、煮物のような匂いがした。驚いたことに先客がいるではないか。さらに驚いたことに、先客はなんと猿だった。さる、ましら、モンキー、正しく発音しなさい、はい、マンキー…さんって、咄嗟に「さん」付けしなければならないと思わ猿、いや、思わざるを得ないほどの風格が漂っていたのだった、彼は。
普通、こういった場合は流れとして、お客さんが入ってきました→カウンターにどう見てもお猿さんってのが背中を向けて座っていました→お客はびっくりして絶句します、あるいは、さ…る?とか最小限の語彙すら出てこない状況に陥ってしまいます…の、はずなのだが、この風格がそうはさせなかったのである。
初めて俺の気配に気づいたかのようにマンキーさんは、ちらりと一瞥をくれた。俺はけっこうぎこちない会釈をし、それに対して彼はスマートな会釈を返してきた、往年の俳優さんみたいに、ヤバい、負けている、オレ。カウンターしかない店なので、並んで座らなければならなのだが、それでいいものだろうかと左右10センチくらいにあたふた揺れながら躊躇していたら、ようやくカウンターの向こうで「いらっしゃぃ」と言ってくれた割烹着の女将は人間だった、ほっとした。
俺は、できるだけ自然に振る舞おう、ここで動じてはいけない、とは思うものの、どうしてもグレーと茶色の混じった野生感増し増しの姿が視界に入ってきて、妙な汗がパンツの中まで伝っているような気がして、ひょっとして実はこのお方は猿なんかじゃなかったりして。
「いや、猿ですよ」
やっぱ、そうですかって、え?喋るの?てか、心が読めるの?しかし彼はそう言ったきり、何ごともなかったかのように俯いて静かにぐい吞みを傾ける、なんかかっこいいじゃねぇか。俺はもう一度心静かに会釈をし、彼との間にひとつ席を空けて腰を掛けた。女将はカウンターの向こうで湯気にまみれながら黙々と手を動かしている。どうしてだ?どうして何ごともなかったかのようにいられるのだ?…でも、「何ごと」ってなんだっけ?
隣の彼は真正面よりも少しだけ下を見つめている。何もない空間から何かを見出しているみたいだ。ふと思い出したかのように徳利の酒を注ぎ、そして静かにぐい吞みを口元に近づけ、ほんの一口含む、息を吸って吐く、やがて喉ぼとけの辺りがゆっくりと上下する、そして再び目の前の何もない空間を見つめる。いつものようにせかせか飲みの俺の徳利は、あっという間に空になってしまった。なんかちょっと恥ずかしい。
「あの」と、俺は自然と彼に話しかけていた。
「はい」彼は真っすぐ俺の目を見つめて返事をした。
「ここにはよくいらっしゃるので?」あまりにも敬語が過ぎるのも良くないなと思い、いやそれは、彼はなんか落ち着いて風格があるけれど所詮は猿だから、ということでは決してなく、ちょっと親しくなりたいなって、え?俺はこの方と親しくなりたいのか、と、自分を整理できぬまま中途半端な感じで話しかけていた。
「ふふっ、ここの女将の人柄に魅かれてね」でも、女将は聞こえていないのか、聞こえないふりをしているのか、包丁を持つ手が小さな動作で何かを刻んでいる。あの場所に最も相応しい存在であるかのような動きだ。気がつくと目の前に新しい徳利があった。いつここに置かれたのだろう。つまんでみると、実にちょうどよい熱さだ。「よろしかったら」俺は徳利の口を彼の方に差し向けながらそういった。「ああ、では…」彼は俺が注いだ杯を一口で飲み干すと、今度はゆっくりした動作で自分の徳利を向けてきた。それを受け取った後、我々はごく自然と手酌となり、語ることもなく、ただ時間だけが過ぎていった。不思議なことに、このただ流れるだけの時間がとても心地よく、酒を味わうとはこういうことなのかと初めて知った次第でございます。
翌朝、目覚めるとすぐに昨夜のことを思い出した。当たり前だよ、あんなインパクトのあるできごと、あれ?インパクトってなんだったっけ、そういえば誰かと酒を飲んだのだが、とても楽しい酒、というより心地よい酒というより酒と相思相愛になったって感じ?誰かと飲んだ、それよりもどうやって帰ってきたのかの記憶がない、でもそれはいつものことか、はは。
妻がいないのだが自分で朝食を作るのも面倒に思い、窓から入る朝陽を浴びていた、俺って光合成ができる男なのかもしれない、でもただ後頭部が暖かくなってきただけだったが、あらま、生きているってこういうことなのかって、どこから湧いてきたのだろうそんな味わい深い気持ち。
そのときスマホがテーブルの上で悶えだした。チッ!あのネクタイ野郎の会社からだよ。でも、どうしてだろうか、昨日のあの腹立たしさは霧散している、むさんなんて言葉が俺の口から自然に出るのも不思議。
「はい、ドーアケミカルの洞亜です」ご先祖様には済まないと謝りつついつも思う、変な苗字、ドーア。「いつもお世話になっております、おおまんだこうぎょうえいぎょうにかのおとむらでございます」何度聞いても漢字変換しにくいこの名前は、やっぱりあのネクタイ野郎、ムカムカネームを思い出した、音叢嘉ぁ杜小場ぁ無…ちいさな「あ」は必須で最後の無は「ん」と発音しなければならないらしい、おとむらかぁとこばぁん、ってバカか?お前の両親、それに社名の大萬田ってなんだよ、強欲張りの極みじゃねぇか、傲慢だー、の方がお似合いだぜ、だなんていつもは毒づくのだけれども、なぜか今朝は、オー!おっぉまんださんのおっとむらさーん、などとリズミカルな返事をしてしまった。ひょっとしてこばぁん君、今日のネクタイは猿柄?え?サルって…、やっぱり変だ今日のオレ。
「昨日は大変申し訳ございませんでした」昨日、きのふ…、過去のことか、あの商談のことだ。さすがに「いーのいーの」などとは云えず「なんのことでございましたっけ?」いや、これはこれでけっこうシニカルかも。
「わたくし音叢の認識不足勉強不足に加え努力も甚だ甚大に足らずに於きましてドーア様には大変失礼極まりないことを申し述べる失態に於かれましては全てわたくしの無知無能による不遜で不遇で痛恨の極みに至りましてあのような発言は決して弊社としての認識におけるものではなくわたくし個人の言葉足らず舌足らず脳みそも足りずに塩分不足でミネラル補給のためにも今一度御社のお力添えとご指導ご鞭撻を賜りたくかしこみかしこみ」
「あの」「はい?」「句読点入れて、もう一度言ってくれませんかね」それで、きっとやつは気絶したのだろう、絶句したまま帰らぬ人となり、代わりに上司の「下野裾」という真っ向見下げても許されるような名前の男が電話口に出て、ネクタイ音叢より少しはましな説明をした。
要は、我が社のピオノメトドキシンを主成分としたサプリの開発を進めたいとの話だった。ははは、何を今さらふざけたことを、すんなりとイエスなんて言ってたまるか。
「わかりました。ただし、一つだけ条件があります」
「ええ、それはもう最大限鋭意努力いたしますので、御社の条件とやらを是非お聞かせください」
「営業担当の音叢君なんだけれども、替えてもらえませんでしょうかね」
「はあ、やはり…そうでしたか…いや、かしこまりました」
「で、できたら新しい担当、お猿さんにしてほしいのですが」
「え!ど、どうして…それを」
「なんかさぁ信用できそうなんですよね、お猿さんの方が」
「いや、そういうことでしたら、わかりました」
「へっ?いいの?お猿さんですけど」
「はい、では早速引き継ぎの方を…あのところで、ひょっとして、うちの社長が猿だってことを音叢がしゃべってしまったのでしょうか?あれは絶対的社外秘だったのですがねぇ」
註)ピオノメトドキシンなんて成分は実在いたしませんので、あしからず