<葬儀のシーンから始まるけれども、バンドの話のつづき>

そろそろ二年生の夏休みだって頃に、親戚のおじさんが亡くなった。遠縁なのだが同じ町に住んでいて、それなりに近しい間柄だった。僕も子どものころに可愛がってもらったので、両親に連れられて葬儀に参列した。

 

実は小学生になったばかりの頃、誰のか忘れたけれども法要の席でお坊さんの読経が始まった途端、急に笑いが込み上げてしまい、堪えるほどに悶絶のボリュームが上がってきて、ついには父親にどつかれた。それ以来、お経ってものが大嫌いになった。

 

ここでも司会者がわざとらしいまでの陰にこもった厳かな口調で「ご僧侶さまのご入場です…」、それを聞いただけで胃袋の下辺りからクスクスが湧き出てきて、あ、ヤバいかも…と気を紛らわせるために僕の横を通るご僧侶さまを横目で見た瞬間「え!」っと声が出てしまった。

なんということでしょう、本日のご僧侶さまは僕の中学時代の同級生、タカマロだった。

 

タカマロはこの町の大きな寺の息子で、すでに中学生のころから檀家廻りをやっていたプロフェッショナル。年に何度かの「かきいれどき」には午前中におつとめを済ませてから、線香くさいまま遅刻で登校ということがあった。

 

金持ちで秀才、さらには書道とピアノを習っていて、我々平民とは身分が違うはずなのに、俗物大好き生ぐさ僧侶さまなので、僕とは妙に気が合っていた。

ただ、我が夕南高校ではない管内有数の進学校に行ってしまったので、それ以来会ってはいなかったのだ。

 

子どものころから鍛えているのだろう、大人みたいの声の読経が始まってすぐに、僕は笑いではなくすごいアイデアが浮かび上がってきた。

 

ピアノを弾けるってことはキーボードが弾けるはず、五分刈りだけれど…関係ないか。

キーボード、持っているかな、いや、なかったら買わせる、金持ちなのだから。

そして、練習場所を何とかしてもらう、ここがポイント。入ったことはないけれどもお寺の本堂って広いはずだ。本堂でバンド練習するつもり。

なによりも、このタカマロは洋楽が好きでよく聴いていて、ドーナツ盤も羨ましいくらいたくさん持っていた。

僕たちのバンドに誘う、それしかない。

 

焼香の煙が漂う中、僧侶さまご退場とあいなった。僕は横を通るタカマロに向かって小さく手を振った。目が合ったはずなのに奴は無視しやがったし、さらにはとなりの父親にひっぱたかれた。くそっ!タカマロのくせに。

(つづく)