この頃の娘は 部活(バレー部 部長)の引退があるのでそれに向けて最後の試合の為に毎日部活。

私は顧問に拒食症の話を伝え『このままほとんど食べないでこの暑い中全力で試合に出てたらもしかしたら倒れるかもしれません』と泣きながら言った。

顧問は拒食症を理解してない(単なるダイエットと思ってる)ので『俺からちゃんと喰え!って言ってやりますよ〜』と 想像通りの答えが返ってきた。

滝のような汗をかく部活なのに 昼は胸肉100gと野菜少しと水飲み。以前はおにぎり3個と菓子パン2個 唐揚げ 卵 ウインナー トマト、それにポカリ2ℓ‥などなど ザ!体育会系弁当をリュックに入れて それでも足らずに差し入れをしてたのに。


私は試合はいつも見に行っていたので 娘以外の子たちが試合の合間のもぐもぐタイムを見るのが苦しかった。みんなはエネルギー補給であんなに食べてるのに 娘は笑顔でその時間をやり過ごしている。体は絶対に食べたがっているのに ただ水を飲んでいるだけ。カッコよかったユニフォーム姿はブカブカになっていて 一緒に見学していたお母さんたちから『ちょっとー!〇〇ちゃん 随分痩せたねー?どーしたー?』と言われ 苦しかった。


小学校の頃は陸上をやってて 長距離短距離ハードルなど、何をやらせても速く必ず選手に選ばれていた。でもそこには毎日1人で河原に行って走ったり 陰で努力をしていた。

私は そうゆう娘のスイッチの入ったところが好きで 多分自慢でもあったと思う。


中学でも陸上部に入るかと思ったら お友達とバレー部を選んで驚いた。球技は唯一苦手なはず。


球技といえば ドッヂボールはボールは触らず最後まで器用に逃げて残るタイプだった。投げるのも取るのも挑戦せずに。

5年の頃 陸上で初めて出たジャベリックスロー(砲丸投げみたいなもの)という競技で4mしか飛ばず最下位になった。よっぽど悔しかったらしく次の試合で頑張ろうとしたらしいが、私が次の試合のエントリーを忘れていて参加できない話をしたら普段ほとんど泣かなかった子が狂ったように泣き叫んで、驚いた。

それでも その次の試合の為に練習用のジャベリックを買ってあげたら 毎朝河原に行って練習(コソコソ練習するからコソ練と言っていた)して、本番では30mを超える記録を出して3位で表彰された。そして背筋と投球コントロールが鍛えられたのか 6年生のドッヂボールの大会の時 剛腕になっていて片っ端から物凄いパワーのボールで相手チームの子達を倒し当たった子の中には痛くて泣いた子もいたほどだった。


話は戻る。

そう、娘がバレー部に入ると言った時は驚いたがテレビでバレーの試合も見たことない何も知らない状態で入ったが 持ち前の負けず嫌いとジャベリックで鍛えられた背筋とコントロールとコソ練で1年で娘だけ先輩に混じってレギュラーになった。

バレー部は顧問(一年の時の担任)が鬼で試合中に暴言が凄い。娘は汚い言葉や圧が苦手。周りの子たちが泣きながら試合をする姿を見るのが辛く そして同じ一年のメンバー達は試合に出れてないので 怒られないでいるのが羨ましくて 1年の9月に一度内緒で退部願いを出した。本人の希望なので止めなかったが その時の先輩と先輩お母さん達がとても良い方で(私の友達でもある)せっかく才能があるのに勿体無い!と 2年の先輩2人がフォローしてくれ(辞めないでとは言わずにお泊まり会や花火やら楽しいことを沢山してくれて)娘は『先輩達のためにもう一度やってみようかな』と顧問に頭を下げて部活に戻った。


3年生がら引退し、大好きな2年生に混じりレギュラーにも慣れやっと部活が楽しくなり 新メンバーで最初はポンコツだったチームも段々と力をつけ試合で勝つことも多くなって 相変わらず顧問の暴言も激しくみんな泣かされていたが、娘は最後まで泣かず泣きたいほどムカつくと ワザと剛腕のボールを顧問目掛けて撃ち『さーせーーん!(すみませーん)』と仕返しする程に上達した(笑)


部活が楽しくなってきた頃、あのコロナが来た。

1年間で休みがほとんど無かった部活だったが休みが増え 最初は喜んでいたがそのうち休校になり部活も停止、引退間近の大好きだった先輩たちのチームで戦えないのは可哀想だった。

46キロくらいだった体重が休校明けの身体測定で49キロになったと聞いた。その時は『太ったーーー!』と笑って話していたので 私も笑っていた。


その後 色んな環境が重なり娘はダイエットに目覚めてしまった。


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河原のコソ練で葉っぱの色が付きまくったジャベリックボール