消えたブログの方にあった過去のコトの記事↓
そー言えば 過去の話を残そうとブログを始めたのに 今のコト でアップアップしてて記録してなかったな。
忘れないうちに(記憶が美化されないうちに)残しておかないと!な。
2021年 5月
中3の体育祭で初めて選抜リレーの選手選びに勝負しなかった娘。
リレーどうなった?って聞いても『別に興味ないし』と。
なのに体育祭実行委員の委員長にはなった。
でもいつもの覇気もなく、好きだった食事を出しても食べず、 んー大丈夫か?と。でも聞くと『うるさいな』の返事しかない。
お腹減るからイラつくんだよ!反抗期だな。と思った。
体育祭が2週間前くらいに迫った頃 初めて娘が『起きれない、学校休む』と言ってきた。
今まで学校を休むことなんて無かったので『さぼりか』とちょっとイラッとした。
とりあえず学校に電話をしてその日は休んだ。
娘はソファで焦点の合わない目をしてる。
私はその時は『病んでるアピールか?』と思っていた。
仕事があるので パンやお菓子を買って近くに置いたけど『いらない』と。
せっかく買ってきたのに💢とイライラした。
でも、数日経っても元気がなく食欲もなく体育祭は迫ってくる。当日は実行委員長の『宣誓!』の挨拶がある。
できるのか?練習もしてないし。
不安になって 担任に電話して『万が一休んだ時のために代役を立てておいてください』とお願いした。娘の心配よりも 娘のせいで体育祭を台無しにしてしまう心配を真っ先にしていた。
そうこうしてる間に何日かは登校し運動会前日に『走るとズボンが落ちるからゴム直して』と言われて娘のウエストをのゴムの長さを見て 『ん?こんな細かった?』と思った。
運動会当日、娘は完璧に選手宣誓をグラウンドの中心で叫び、大きな声で堂々とかっこ良かった。
何をやらせても 完璧でカッコいいいつもの娘がそこに居た。
選抜リレーも 大きな声で応援していて『あー この子ちゃんと人を応援できる子なんだ』と安心した。
この時はまだ拒食症を疑ってはなく 本当は体育祭を楽しみたかったのに一位になれる自信がないからリレーに出ないと決めた事に罪悪感を持ってる娘が可哀想だな、と。
でもこれも成長の過程。
今まで挫折を知らないからなぁ。
これで成長するだろーなー。
なんて思ってた。
4月10日
夕方の富士山
日が伸びたな
運動会のお弁当
なんとか食べて欲しくて デリ風にしたら食べてくれるか?と思って普段私では作らないお弁当を頑張って作った。
パンはローソンの低糖質パン。
先生の話によると 昼は仲のいい男子(1歳の頃からの幼馴染)が唐揚げをくれたみたい。先生から連絡があって『コロナなので黙食でお弁当のやりとりは禁止なんですが、見ないふりしてました』と。
先生ありがとう!男子もありがと!