沢田研二LIVE 2024「甲辰 静かなる岩」ツアーのMC
昨日書いた女性週刊誌「女性セブン」が狙っていたのは、7月9日の LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)と予想していたのですが、、、、
渋公でのジュリーMC
ファニーズの頃の大阪ナンバ一番時代の噺
キングス(オックスの福井さんがいた)と
バックボーン(後にオックスの野口ヒデトさんがボーカルで加入)の名前が出てきたのですよぉぉぉ
あっ、キングスといっても、殿様キングスではございません(笑)
ジュリーMCでは、ファニーズの頃、ドラム合戦というのがあって、オックスの福井さんのいたキングスなども参加していた。
この時のドラマーが岩田裕二さんで、キングスは王子様達なので衣装は、白いパンツにベルベットとか、、、、、
そして、キングス、ザ・タイガースの成功に刺激されて、上京
昭和42(1967)年9月にデビュー曲♪アイ・ラブ・ユーをリリース
ザ・タイガースは、この年8月にリリースしたのが、♪モナリザの微笑
キングスのデビュー曲はムード歌謡、ベースの福井さんとドラムスの岩田さんは脱退
捲土重来し、オックスを結成し、翌年の5月に♪ガール・フレンドでデビューといった流れだったのを思い出しましたが、、
週刊新潮コラム「昭和歌謡」残響伝
タブレット純さんが連載しているコラム
最新号(7月12日号)では、GS(グループ・サウンズ)のザ・ガリバーズの話題がでてきて、
オックスと楽屋で大乱闘したとか、、、などなど
タブレット純さん、6月9日(ロックの日)に銀座TACTで開催された
ユージーズとGSを愛する仲間たち(高宮雄次バースデー・ライブ)にゲスト出演
その日歌唱していたのが、オックスの♪スワンの涙だった!
タブレット純さんによれば、ガリバーズでただ一人生き残っている北久保誠さんとか!
新潮のコラムは、このときに聞いた話をもとに書いたのではないかと、、、
ザ・ガリバーズ(黒沢進さんの著書から)
GS評判家の黒沢進さんの最新版の日本ロック紀GS編で紹介されていますが、、
1989年に発行された「日本の’60年代ロックのすべて」で、さらに詳しい情報も、、、
ブートレグLPもあったとかで、そそるバンドではないか!
ザ・ガリバーズ(ネット情報から)
ザ・ガリバーズは、山形市で活躍していたアマチュアバンドに、東京でバンド活動をしていたメンバーが合体した6人で結成された。
1968年1月の"日劇ウエスタン・カーニバル" に初登場。演奏中にギターを壊したりするなど派手なパフォ−マンスを演じたりと異色のグループとして、その名を広めていった。同年7月1日「赤毛のメリー」でレコード・デビューを果たす。
大ヒットには結びつかなかったものの、プロマイド売り上げGS部門ランキング(1968年9月)で9位、音楽雑誌ミュージックライフGS部門人気投票で3位に入る勢いだった。その後、事務所と意見が対立し、セカンドリリース「砂山」も決まっていたのだが発売直前に中止。11月には小柴が抜け、5人編成となった。
そしてガリバーズは、大橋プロと決別し「我里プロ」を設立、独立していった。
1969年に入り、大幅なメンバーチェンジをし再起を図ったが、同年9月に「ブラック・エンジェル」がリリース直前にお蔵入り。GSブームの終焉を迎えていた時期だけに、新メンバーによるレコードリリースは出来ず、1970年に、♪赤毛のメリー1曲だけのリリースで解散に追い込まれて行った。
尚、大橋プロ所属時代のマネージャーは、宇崎竜堂が一時期担当していた。
2008年、北久保誠・小柴英樹・多瀬正隆のオリジナルメンバー3名により " ザ・ガリバーズ " が再結成された。
2011年9月22日、ギターの小柴英樹が肝臓がんにより永眠。
2020年12月27日、リードボーカルの多勢正隆が胃がんにより永眠。
タブレット純さんが書いていた、ザ・ガリバーズのメンバーでただ一人生き残っているのが北久保誠さんって、
2008年の再結成時のメンバー3人についてなのでしょうね、、、
再結成時、NHKーBSに出演♪赤毛のメリーのパフォーマンス、これは記憶にございますw
それにしても気になるのが、ザ・ガリバーズの海賊盤、劣悪な音質でも聴きたいものですが、、、
いやぁ、まいったなぁ