昭和プロレス者ならば、猪木映画よりも活字ではないかと! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 最近はプロレスの話題を書くとアクセス数が⤵

 でも、そんなのどうってことねえや(笑)

 ♪炎のファイターが鳴り響く~

 

 読んでから観るか、観てから読むか、どっちにしても得をする角川春樹の戦略を思い出しましたが、、、、

 

映画は「アントニオ猪木をさがして」

 登場するのは、有田哲平(芸人)、神田伯山(講談師)、安田顕(俳優)

 プロレスラーでは、藤波辰爾、藤原喜明、オカダ・カズチカ、棚橋弘至海野翔太、田口隆祐、後藤洋央紀

 観なくてもなんとなくわかる内容だし、後日、ビデオ化やTV放映でみればいいような気がして保留、、、

 ですが、映画館の銀幕でアントニオ猪木を観たことがないし、観客の反応も気になるんだなぁ、これが、、、 

 

 一方、書籍は9月15日に発行された集英社新書

アントニオ猪木とは何だったのかで840円+税、157頁

 帯は「猪木について考えることは喜びである」で、吉田豪がターザン山本の「プロレスについて考えることは喜びである」の惹句を、猪木に置き換えたものであって、1970年生まれの吉田豪は黄金期の猪木を同時代ではみていないはずですが、猪木~倍賞美津子さん~ショーケン兄さんまで登場して、同書のメインイベントだったのですよぉぉぉぉ

 

同書の惹句では

 2022年10月1日、享年79。

 不世出のプロレスラー、アントニオ猪木は死んだ。

 わたしたちは「猪木ロス」を乗り越えて、問わなければならない。

 わたしにとって、あなたにとって、プロレス界にとって、時代にとって、社会にとって、アントニオ猪木という存在は何だったのか。

 アントニオ猪木とは果たして何者だったのか。

 哲学者から芸人まで独自の視点を持つ7人の論客が、あらゆる枠を越境したプロレスラー、アントニオ猪木という存在の謎に迫る。

 全て書き下ろし。

 

第1試合は、哲学者:入不二基義の「壁抜けしつつ留まる猪木」

 1958年生、一線を越えるとか壁抜けなどが太字でしたね!

 

第2試合は、精神科医:香山リカの「馬場派からの猪木論」

 1969年生、馬場さんの♪砂山も!

 

第3試合は、水道橋博士の「A LONG TIME AGO……」

 1962年生岡山出身、TPG~三大キ印とは角川春樹と梶原一騎と猪木とか、、、

 

第4試合は、ターザン山本の「存在無意識に生きたプロレスラー」

 1946年生長州出身、想定内でしたが、満足!

 

第5試合は、社会経済学者:松原隆一の「1000万人に届く言葉を求めた人」

 1956年生:下北沢の「ステッフルハウス」猪木映像がリクエストできたバーがあったって、、、

 

第6試合は、夢枕 獏の「アントニオ猪木 あれやこれやの語」

 1951年生:青森県の蔦温泉~猪木Vsロビンソンをルー・テーズが「なんとファンタジックな試合だろう」って、、、

 

メインイベントは、「猪木について考えることは喜びである

 

いやぁ、まいったなぁ

 

昭和のプロレス者と活字プロレスの世界、、、