水谷豊自伝、映画「青春の殺人者」長谷川監督からお風呂に誘われたって! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 お盆の週刊誌、文春と新潮

 新聞広告で気になったのが、発売即大増刷「水谷豊自伝

 

 一方、文春のほうでも連載していた「ジュリーがいた」も一冊にまとめられていて、重版されている。

 こちらもこれまでの沢田研二さんの活動をジュリーファンの島崎和歌子さんが精魂込めて書いているが、ご本人は関与していないため、関係者の聞き書きや雑誌の記事からといったところ、、、

 

 新潮の「水谷豊自伝」は本人からの聞き書き

 帯では「僕は何故この世に生まれて来たのだろう?

 こんなに自分の過去を振り返ろうとしたことは一度もなかった―――。」

 水谷豊、♪いまは人生を語るとき~(Fromよしだたくろう)って、おもったのでしょうか!

 

 

 この本、ショーケン兄さんのことも書かれていたし、優作の妻との共著だったので、初版でゲット!

 

 

 水谷豊は専門外!なので、TVドラマ「熱中時代」や「相棒」はみていないが、長谷川和彦監督の映画「青春の殺人者」は観ていて、自伝にもそのエピソードが語られていましたね。

 なお、長谷川和彦監督の第2作がジュリー主演映画の「太陽を盗んだ男」なのですよぉぉぉ

 

 ちなみにこの映画、ネット情報では

・2000万円前後を予定していたが、結局3500万円かかった。長谷川は借金を1500万負ったという。監督は勿論、水谷もノーギャラ。

 撮影当時、長谷川が30歳、水谷が24歳、原田は17歳であった

 水谷豊の主演起用は長谷川監督が「傷だらけの天使」を観て気に入り「青春の蹉跌」の脚本で交流のあった萩原健一に紹介してもらったもので、水谷を「日本のジェームズ・ディーンやらないか」と口説いた。

 原田美枝子は当時17歳で大胆なヌードシーンを披露した。原田は過酷な撮影だった本作が嫌で、映画を一度も観ていないという

・長谷川監督は、一緒にメシを食いながら「日本のジェームズ・ディーンやらないか?」と声をかけたら、撮影がきついことも承知のうえで乗ってくれた」と裏話を披露。

・お母さん役が市原悦子さん。いまなら「相棒」VS.「家政婦」(笑)

 

 水谷豊自伝では、

・ドラマ「男たちの旅路」のディレクターが長谷川監督と東大の同級生だった。

・やりますと答えたあと、居眠りをしてしまった!

 撮影初日の前にお風呂に誘われ背中を流しあったとか(笑)

 これはアニキと同じだったwww

・涙を流すシーンでは「泣くまで待つよ」と言われたとか、消防署の許可を取っていない火事のシーンでは「火傷の状態で真っ赤になっていたと思う」

 など本人の証言なのでリアリティがある。

 

 映画「青春の殺人者」当時のパンフレット「アートシアター」123号があったはずとひっぱりだしてきました!

 昭和50年10月の公開で、封切り当時観ましたよぉぉぉ

 音楽がゴダイゴ白川和子さんや桃井かおりさんが出演していて、ゴジ初監督へのご祝儀出演だったのでしょうね、、、

 ゴダイゴの音楽、印象には残らなかったのですが、初めて聴いたはずで、ウエスト・コースト風のミュージック。

 当時、カップスのミッキー吉野さんが参加していることは知りませんでしたが、、、

 

 この映画、キネマ旬報のベストテンで評価されたので、結果オーライでしたね、、、

 

 

 この自伝、まだ全て読んでいないのですが、、、、

 各エピソードが具体的で面白いのですが、当人の自画自賛や共演者などの水谷豊賛辞がシメなのですよw

 まあ、自伝だから当然でしょうね、、、

 

いやぁ、まいったなぁ