昨日、BSーTBSで「沢田研二華麗なる世界」が放映されましたが、その日文藝春秋社刊の「ジュリーがいた」を難波ジュンク堂書店でゲット!
Amazonで購入すればいいのでしょうが、、、
やはり実書店で買いたいもの
近くの書店ではお取り寄せとなっていましたね、、、
ジュリーがいた、連載中には週刊文春を購入し、読んでいましたのですが、このような形で1冊にまとまって出版されたことは喜ばしいことですね。
サブタイトルが「沢田研二56年の光芒」
連載を読んでいたので、新たな取材と大幅な加筆は楽しみですが、、
とりあえず「連載を終えて―――後書きのようなもの」を拝見、、、
扉はこんな感じですね
駄菓子菓子、連載中から思っていましたが、タイトルは今市太子橋
ジュリーがいたは、過去形
なので、このタイトルでは沢田さんは嫌がるだろうなぁって、、、
一方、BSーTBSで放映された
沢田研二 華麗なる世界
こちらも「ジュリーというスーパースターがいた」と過去形にされていましたが、「今ではLIVEでしかその姿をみることができない」とのクレジットがあって、「沢田研二 加齢なる世界」の一端もw
この番組はご本人の許可受けたとか、、、
「ジュリーがいた」の「後書きのようなもの」の最後で著者の島崎今日子さんは
「ジュリーがいた」の「た」は、確定・発見の助動詞ですよね?
との元国語教師のジュリーファンの問いに答えるかたちで
タイトルを決める時に、スターの過去だけでなく現在までも含まれているというのは前提であるって、、、、弁解
ああ、やっぱり気にしていたんやなぁ(笑)
このタイトル、一般ピープルの視点では、「ああ昔ジュリーは輝いていたなぁ」って、過去の人の印象が強くなりすぎるのですよぉぉぉぉ
そして、「ジュリーには何度か取材を申し込んでいたがすべて断られており、もう取材は受けないとご本人が公言していた。」とも、、、
ですが「沢田研二の華麗なる世界」を企画・演出した田代誠さんは本人の承諾を得ていたのが不思議ですね、、、
この後書きのようなもの、普通は取材協力者についてはクレジット程度ですが、かなり具体的に書かれていて、敬称つきですが、、
安井かずみさん(故人)と重信房子さん(連合赤軍!)だけは呼び捨てなのが気になりましたね、、、
同志だからとでも思っているのでしょうかw
また、残念だったのは、ナベプロ関係者以外にも、もっと証言者はいなかったのかと、雑誌などの記事もジュリーFANに頼らなければ入手困難な状況になっていたのか、といったところですが、
いずれにせよ、この本の後書きのようなもの、自画自賛感と内輪ぼめが強すぎると思ったんだなぁ、これが、、、
いやぁ、まいったなぁ