ザ・タイガースのピー、アラン・メリル死去のこともふれていて、気になっていたのですが! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昨日に続き、ザ・タイガースのピー(瞳みのる)の話題です。

 先日書いたピー先生の講座で、気になっていたのがアラン・メリルの訃報に触れていたことである。

 ちょっと触れただけなので、記録してなかったが、、、

 

 2014年1月にCDジャーナルから発行された「GSアイ・ラブ・ユー」をみていたら、、、、

 アラン・メリルのインタビューを発掘

 同ムック本のサブタイトルは

「ニュー・ロックとアフターGSサウンド時代

 アラン・メリルさんって、ニューロックのイメージしかなかったのですが!

 

 アラン・メリルに対する4頁にわたるインタビュー

 3頁目の中段をみると、、、

 ザ・タイガースとのもっとも強烈な思い出は、日劇のバルコニーからピーの夜中のリハーサルをみたことだな。

 彼はバンドを離れると言っていたので、頭がおかしくなったのかと聞いたよ! ビートルズをやめるようなものだと。

 彼は笑ってそれは違うと言ってたけど

 

 ピーとアラン・メリル、結構接点があったのですね、、、

 

 アラン・メリルって、GS(グループ・サウンズ)のイメージはなかったのですが、日本ロック紀GS編には取り上げられていましたね。

 

さらにウィキると

アラン・メリル

 1969年、ニューヨークの著名バンドであったザ・レフト・バンク(1966年全米トップ5「愛しのレネ」で知られる)のオーディションを受け、アランは合格するも、ザ・レフト・バンクは間もなく解散した。

 その後、アランは来日し、東京を基盤とした活動を行うザ・リードという外国人バンドでRCAレコードからデビューした。

 2人のメンバーが大麻不法所持で強制送還されたため、バンドはすぐに解散となった。

 1969年、渡辺プロダクションとのソロ・マネジメント契約を交わし、芸名をアラン・サクスからアラン・メリルに変更した。

 ソロ・シンガーとしてのデビューだったが、ロック・パイロットとの共同活動も多く、日劇ウエスタン・カーニバルや日本武道館、帝国劇場、日比谷公園、日本万国博覧会のステージなどにも出演した。

 1971年2月、ソロ・アルバム「ひとりぼっちの東京」 (Alone In Tokyo) を全曲日本語でレコーディングし、♪涙 (かまやつひろし作曲/安井かずみ作詞) がシングル・カットされヒットし、日本において実力派ポップスターとなった。

 

 ザ・リードのメンバーだったのか、、、

 

いやぁ、まいったなぁ