ジュリーがいたサンダースって、GSだったのか?! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 ザ・タイガース前夜について、ジュリー作成のパンフレット「THE TIGERS 2013」の歴史年表を」みていると気になったことがあって、、、

 

・1965(昭和40)年11月3日 サリーとプレイボーイズが京大の大食堂で初演奏。この日の演奏を聴くために「サンダーズ」に在籍していたジュリーが出席。

・11月下旬 ジュリーが「サンダース」を辞めたがっているという噂を聞いたピーは河原町の近くの喫茶店でジュリーに加入の交渉を行う。

・12月24日 ジュリー、鴨沂高校を中退

・1966(昭和41)年1月1日 ジュリーの参加が正式に決定する。

 

ウィキでの「沢田研二」の項目では

 京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、17歳の沢田はローディー兼ボーカリストになった。そのステージを見たサリーとプレイボーイズのサリー(岸部修三=現・岸部一徳)からリード・ボーカルとして誘われ、翌年の元日に沢田はサリーとプレイボーイズに正式加入、グループ名は「ファニーズ」と改めた。

 

「タイガース」の項目では

 4人は、四条河原町のダンスホール「田園」に出演していた「サンダース」でボーヤ兼ボーカルだった沢田研二を勧誘する。

1966年元日、沢田は正式に「サリーとプレイボーイズ」のメンバーとなり、あわせてバンド名を(バンド「リンド&リンダース」の命名で)「ファニーズ」に改称し、歌主体のいわゆるボーカル・インストゥルメンタル・グループとなった。リーダーは、瞳に固定された。

 

 ジュリーを勧誘したのが、ピーなのか、サリーなのか、4人なのか、わからないが、「田園」に出演し「サンダーズ」で歌っていたようである。

 

 このサンダース、ジュリーとサンダースで検索すれば、ケンタッキーのカーネル・サンダースおじさんが出てくるのである(笑)

 バンドとしてのサンダースの情報はみあたらない。

 

 ウィキでは「ザ・ファイターズの前身は、ザ・サンダース

 関西ではジャズ喫茶の実力派バンドであった。デビュー後は基本的に、ジェット・ブラザースとファイターズで一つのバンドという形で活動していた。」と書かれていて、ジェット・ブラザース名義で1968年5月に♪愛の祈り、♪君はどこへのシングル盤がリリースされているのである。

 

 黒沢進著の「日本ロック紀GS編(1994年10月発行)」では、ジェット・ブラザースは、瀬尾幸男と富永ジローのデュオグループ、四国高松出身。バッキングは同じ高松のバンドで、弓おさむ(lg)田代かおる(bs)小山ワタル(org)峰貴之(ds)

 

 サンダーズ、ひょっとすればGSだったかもって調べると、

 黒沢進著「日本の‘60年代ロックのすべて(1989年3月発行)」にサンダースの記述がありましたね。

 GS人気投票162位だったとか。 といっても40票だったが、、、

 

 

いやぁ、まいったなぁ

 

 加川良もいたという説もあるのか、、、 

 1965年のサンダース、どんなバンドだったのか気になるところですが、、、