昨日に続き「昭和の歌姫ベスト20」の噺です。
中学2年生の「美空ひばり博士ちゃん」が解説した「ちあきなおみの天才的歌唱テクニック」が「しゃくり」
♪喝采を例にしゃくり有り無しで歌って、きゃりーぱみゅぱみゅも歌わされて、「ちょっと違うかもしれない」とダメ出しされてしまう(笑)
ちあきなおみさんといえば、♪喝采や♪劇場♪矢切の渡しといった歌唱で素晴らしいのはよくわかるが、、、、
ちょっと待てぃ!
やっぱり初期の歌唱、いいんだなぁ、これが、、、
デビューが
1969年6月♪雨に濡れた慕情(オリコン23位)
11月♪朝がくるまえに(18位)
詞:吉田央、作曲: 鈴木淳、編曲:森岡賢一郎のトリオで、楽曲よし、歌唱よしであり、スマッシュヒットで、共に16.8万枚
1970年3月 ♪モア・モア・ラヴは記憶にございません、、、
1970年4月発売の♪四つのお願い
作詞が白鳥朝詠に代わってて、この方、ウィキっても出てこない謎の人ですが、都はるみの♪好きになった人やジュディ・オングの♪たそがれの赤い月の作詞家であり、フジTVのディレクターとの説も、、、
オリコン4位で37.6万枚とヒット
8月発売の♪X+Y=LOVEも5位で21.9万枚と好調でしたが、、、
11月発売の♪別れたあとでで失速
1971年2月発売の♪無駄な抵抗やめましょう、6月♪私という女の作詞、なかにし礼でしたが浮上せず
9月♪しのび逢う恋 は、白鳥朝詠詞、 浜口庫之助作曲
10月♪今日で終って、1972年2月♪恋した女 阿久悠作詞、でしたが低迷
1972年9月♪ 喝采(詞:吉田旺、作曲:中村泰士、編曲: 高田弘)がオリコン2位で80.7万枚と復活。
作詞はデビュー曲と漢字は違うが、同一人物、、、
♪喝采は作詞家にもドラマがあったのですね、、、
ちあきなおみさん、「にっぽんのセクシー歌謡祖史」という本で知ったのだが、デビュー当時のキャッチフレーズが「魅惑のハスキーボイン」だって(笑)
彼女のお色気ワールドが強く出た作品は♪四つのお願い。
ちあき本人は「ああこりゃダメだ、この曲で私も終わりだと思った。」と述懐しており、自分は明るい歌は苦手だとも語っている。
ところで、ちあきなおみさんといえば、、、
思い出すのがマィティ井上。
マイティ井上で思い出すのが、タブレット純。
タブレット純さんはマィティ井上さんのFANで、マィティ井上さんはちあきなおみさんのFAN。
国際プロレス時代のマイティ井上選手、武者修行でヨーロッパに遠征したとき、♪四つのお願いをテーマソングにしたとの近況報告は、今でも記憶にございます(笑)
知っている人はほとんどいないのではないかと思っていましたが、、、
プロレスのテーマソング誕生物語として、結構知名度が高かったのですよぉぉ
ネットでは「最初にこの演出を取り入れたのは国際プロレスを放映していた東京12チャンネルでした。同局は1974年9月の国際プロレス中継の放映スタートに際して、初来日した“スーパースター”ビリー・グラハムの入場の際にカール・アンダーソンが歌う♪ジーザス・クライスト・スーパースターをかけたのです。これはマイティ井上のアイデアでした。井上はドイツ・ハノーバーのトーナメントに出場した時に選手それぞれにテーマ曲が付けられていたことをプロデューサーに話したのがきっかけでした。ちなみに井上がハノーバーで使っていた曲は、ちあきなおみの♪四つのお願いだったそうです。」
いやぁ、まいったなぁ、、
昨日何を食べたのか覚えていなくても、♪雨に濡れた慕情を~♪朝がくるまえに歌っていたちあきなおみさんの歌唱力の素晴らしさ、はっきりと記憶にございます、、
♪朝がくるまえに、ダブルジャケットは今の時代ではセクハラっぽいし、ちあき・なおみなのですがwww
歌詞は♪四つのお願いほど、バカバカしくはない、、
ピーターの♪夜と朝のあいだにから続けて聴きたい曲なのですよぉぉぉぉ