東京五輪のヘーシンクを語った菅総理、1973年プロレス転向時のパンフ発掘するとJ鶴田も! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 少し前、菅総理、珍しく自分でしゃべったのかと思った発言

 「私自身、実は57年前の東京オリンピック大会は高校生でした。いまだに鮮明に記憶しています。何よりも記憶に残っているのはオランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際大会で初めて負けた試合で悔しかったですけれども、その後の対応がすごく印象に残っています。」

 東京五輪はともかく、昭和プロレス者からすればアントン・ヘーシンクは悪夢である。

 

ジャイアント馬場さんは、「プロレスに適応しようとしなかった」「柔道着を着て押さえ込まれたらこれほど強い男はいないが、裸になるとこれほど弱い男もいない」と評していて、契約は全日本プロレスではなく日本テレビと結んでいたとか、、、

 

 ヘーシンクがプロレス転向したのが、1973年で当時のパンフレットを発掘。

 

 全日本プロレスは、この年の10月、創立1周年を迎える。

 

 このときのシリーズに、アントン・ヘーシンク登場の予告が!

 

 そして、ヘーシンクだけでなく、このシリーズで鶴田友美選手が登場

 そういえば、鶴田もオリンピックに出場していましたね、、、

 長州力も韓国代表で出場していたはず、、、

 

 10月9日の蔵前国技館、馬場猪木組から奪取したインターナショナルタッグチャンピオンのファンク兄弟に挑戦し、引き分けた!

 このときの外人勢、結構豪華!

 

 そして、日本プロレスの残党も、、、

 当時、上田馬之助と松岡厳鉄、この試合で鶴田がインタータッグを奪取すると聞いて、馬場にそんなことをするとただじゃおかないぞって恫喝し、引き分けになったとの噂話も、、、、

 知らんけど(笑)

 

 そして、11月からのジャイアントシリーズ第2弾

 ヘーシンク初登場鶴田友美はジャンボ鶴田になった。

 

 ヘーシンクのアマレススタイル姿、なんだかなぁ、、、

 白いシューズも今市太子橋

 

 BサンマルチノやFVエリックと対戦することはなく、カリブス・ハリケーンなどが引き立て役

 

 このシリーズから上田&松岡は消えていたが、、、

 ミツ・ヒライは控室からでていて、寂しそうにひとりでいたので、ちゃっかりサインを

 小鹿選手はテキサス、高千穂選手はサムソンクツワダと豪州にいた。

 翌年の新春シリーズにはNWA王者ジャック・ブリスコに、ドリー・ファンク・ジュニアとハーリー・レイスが来日するとの告知も 

 

 さて、ヘーシンクのプロレス転向昭和プロレス者としては悪夢だったが、、、

 

 2020なのか2021なのか、TOKIOの五輪ピック、どのような記憶として国民の残るのだろうか、、、

 

追加

 TV「太陽にほえろ!(ジーパン編)」のワンシーン

 1973127日放映の73話「真夜中に愛の歌を」

 ゴリさんは深夜ラジオのディスクジョッキーがお好きの回

 ヘーシンク登場時のポスターを発見!!!