文春の「ジュリーがいた(タイガース編)」のピー証言は興味深かった!次はPYGではないかと、、、 | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 7月5日に「文春の「ジュリーがいた」は一般ピープル向け、コアなジュリーFANには物足りないんだなぁ、これが!」って書いたが、、、、

 先週発売された週刊文春7月25日号、ザ・タイガースのリーダー瞳みのる(ピー)の取材があって、その証言はなかなか興味深かったんだなぁ、これが、、、

 

15の春は泣かせない、京都の厳しい学区制がなかったら、ザ・タイガースはなかった!

「僕の家は上京区の一番南、うちのすぐ裏は中京区、一本違っていたら僕は誰にも会わず、タイガースも生まれていなかったことになります。」

 

・ザ・タイガースが目指していたのが、ビートルズよりもストーンズスタイル。

「みんなが楽器を演奏して歌っているビートルズというより、ミック・ジャガーがリードヴォーカルでいて、あとのみんなが楽器を演奏するローリング・ストーンズ」

「あのときの沢田研二40分のステージで1曲歌わせてもらえるかどうか、バンドの横でタンバリンを叩いていた

 彼なら引き抜いてもバンドに迷惑をかけないと考えた。」

 

浜村淳の証言がタンバリンだった!

「彼がタンバリンを激しく体に打ちつけながら歌ったんです

 するとそのうちタンバリンの皮が破れましてね。ガーッと四方に飛んでいった。

 会場のお客さんは大興奮ですよ、随分盛り上がりました。」

 

・売れたのはマネージャーの中井さん

「中井さんが橋本・すぎやま路線を薄めようとして、安井かずみ・加瀬邦彦の♪シー・シー・シーを出した時は少しレベルアップした気分でした。でも元に戻る。」

 なお、ワイルドワンズの連中も認めていたとか、、、、

 

・そのころは日陰の女?

「僕らはライブでは半分洋楽をやって、その時はみんな生き生きとして全然ノリが違った。なのに自分たちのオリジナルになると  王子様風になって、面白くないですよ。

 だから13年の完全復活の時も半分は洋楽をやっています。

 それが僕たちの出自なんです。」

 

 と、ピー証言は興味深かった、、、

 やっぱり、バンドマン!

 

 ジュリー証言も出てくるが、過去の雑誌等の引用なので、一般ピープル向け、、、

 コアなジュリーFANには物足りない連載であるとの結論は変わらない、、、

 なぜなら、沢田さんの雑誌に掲載された発言、

 コアなジュリーFAN、他のことは忘れていても、ジュリー発言はしっかりと記憶にございます(笑)

 やっぱり沢田研二さんに取材をして書いて欲しいものですが、、、

 

 この週の結びが

 71年1月タイガース解散

 ひとりになった沢田研二の前には、スーパースターとい孤独と背中合わせの光があるだけだった。

 ジュリーの時代が始まるのである。

 

 えっ、えっ、えっ、その前にPYGがあるはずでしょうが、、、