3日間連続で昭和プロレスの噺です。
最近の事は忘れることが多くても50年前の事は昨日の事のように覚えていますね(笑)
スパイロス・アリオンのダブルクロス(裏切り、欺き)
ウィキでのスパイロス・アリオンを引用すると
豪州とニューヨークを股に掛けた活躍は当時の日本のプロレスファンからも注目され、1970年6月に国際プロレスが「あなたがプロモーター」と題して実施した未来日外国人選手招聘の公募企画ではファン投票1位となり(2位はミル・マスカラス)、同年9月に国際プロレスへの初来日が決定。
しかし、日本プロレスの妨害により来日は急遽中止になり、翌1971年2月、ファン投票2位のマスカラスと共に日本プロレスに参戦することとなった。シリーズのエース格として期待され、シングルではジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に、タッグではマスカラスと組んでBI砲(馬場&アントニオ猪木)のインターナショナル・タッグ王座に挑戦したものの、低調な試合ぶりで評判倒れに終わる。以降、日本では「期待外れの外国人選手」の代表的存在とされた。
1974年は5月の全日本プロレス来日
1979年2月、新日本プロレスへの来日が予定されていたが中止となっている。
引退後はギリシャに戻り、1997年4月に訃報が伝わったが詳細は不明とされている。
はい、ここで、ダブルクロスのパンフレットを紹介!
当時、日本プロレスの妨害によりアリオン来日が急遽中止になったのが、昭和45年のダイナマイト・シリーズ。
このシリーズのパンフレットにはエース格として紹介されていましたね。
表紙には、ファン投票1位S・アリオン初登場、凱旋帰国逞しく成長したラッシャー・木村、異色の覆面コンビ来襲が。
裏表紙にはファン投票結果報告とお礼が、、、
この結果、昭和プロレスファンならば興味深いレスラーも、、、
アリオンは黄金のギリシア人だし、かっこいい!
そのシリーズに凱旋帰国したのが、ラッシャー・木村さん
このシリーズでは、力道山のようなタイツ姿でリニューアルして登場。
覆面のドクター・デス(ムース・モロウスキー)がトップで、札幌で吉原社長に暴行
木村Vsドクターデス、大阪で初の金網デスマッチへと、、、
この試合はTV放映されたので、みていましたね
で、スパイロス・アリオン
日本プロレスから、法外なギャラをもらって、ラッシャー木村さんと同じタイツで、国際プロレスのイメージダウンのワークを!
Gスピリッツ最新号のマスカラスへのインタビューでは、AWAのバーン・ガニアを通じてきたが、ギャラの提示額が日本プロレスよりも遥かに低かったので断ったとか、、、
マスカラスのようにはっきりとしていればよかったのでしょうが、、、
アリオンは、国際プロレス参戦を決めた後、日本プロレスの妨害工作を断れない事情があったのかもで、蔵前のインタータッグ戦でのファイト内容をみると、そんな感じがしましたね、、、、
いやぁ、まいったなぁ