僕って誰、もはや忘れられている芥川賞の三田誠弘さん、2011年12月に書いた「男が泣ける昭和の歌とメロディー (平凡社)」を発見。
三田誠広は1977年の「僕って何」で芥川賞受賞、意外にも1948年大阪生まれで、大手前高校から早稲田大学文学部卒業、実家は「コピーの三田」(現京セラドキュメントソリューションズ)を経営していて、読売ジャイアンツのFANだとか。決して大阪人とはよべない(笑)
で、その本「口ずさむと目頭が熱くなるキュンと胸が熱くなる…60年、70年リバイバル!この世に歌というものがあってよかった!全曲歌詞と楽譜付き。」
プロローグは、歌うことを忘れてしまった男たちへ、第1章:美しく悲しい戦いの歌、第2章:孤独で不器用な男の歌、第3章:寂しく耐える女の歌、第4章:心にしみる肉親の歌、第5章:旧くて懐かしい歌、第6章:はかなく淡い純愛の歌といった内容、ショーケン兄さんの歌は取り上げられていないが、沢田研二さんの曲が3曲取り上げられている。
そのジュリー3曲、全て作詞:阿久悠、作曲:大野克夫。
各章で取りあげられた10曲のサブタイトルと、三田誠広が選んだジュリー曲のサブタイトルをみただけで選出理由が推察できる(笑)~本文を少し引用~
第1章「平和を満喫しながら戦争を歌う」、昭和歌謡の偉大な詩人・阿久悠の最高傑作「ヤマトより愛をこめて」
~アニメの中の戦艦は純粋で美しい。その設定を借りて、沢田研二の美しい歌声が響く。死を覚悟した人間だけに許される美しい理念が語られる。~
第2章「男の涙のわけは女にはわからない」、沢田研二が歌うからこそのニヒリズム「時の過ぎゆくままに」
~死にたいと口走る、明日への希望も生きる意欲もない女と、だらだらと生活を続ける。そんなだらしない男の、どこがかっこいいんだと思うのだけれども、それが沢田研二なら、何となくさまになってしまう。~
第6章「いくつになっても純愛の歌を歌おう」、純愛―、それは禁欲的なダンディズム「LOVE(抱きしめたい)」
~阿久悠はハンフリー・ボガードの主演映画のイメージを借りて、孤独で禁欲的な男の姿を歌で表現することを試みた。ボギーと沢田研二とでは、少しイメージが違う。沢田研二には若さがあり、孤独にも禁欲にも徹しきれない甘さがある。その中途半端さがいい。~
といったところが三田誠弘が選んだジュリー3曲、黄金期の沢田研二論でもある。
ラジオの東海放送でジュリーFANが選んだシングル曲のベスト10のランキングと共通する曲は「時の過ぎゆくままに」でしたが、投票したほとんどが女性FANと推察されるので、一般ピープルとは違って、ジュリー女子は男の涙のわけを知っているのかも(笑)