井上堯之さんの「青春・太陽・音楽」ショーケンジュリーの話など、興味深かった! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 一昨日、実書店で買った「ショーケン 別れのあとに天使の言葉を」

 最初に読んだのが、井上堯之さんのインタビュー「ツーアウト満塁でバッターボックスに送り込む監督みたいなもんです、ショーケンは」で、河出書房新社の「傷だらけの天才」ではPYGの話でしたが、こちらは映画音楽の話、ショーケン兄さんの「青春の蹉跌」と沢田研二さんの「太陽を盗んだ男」が対照的で興味深かった。

 

「青春の蹉跌」では、試写会終わって、(ショーケンは)僕の家へすっ飛んできてね、「アンタ最高って()

 アンタなんて過去言ったことないよ。普段は堯之さん、ショーケンは生意気な言い方なんて絶対しませんでしたから。それはやっぱり、すごく嬉しかったですね。

 

「太陽を盗んだ男」では、それまでは、映画は自分の主張の場だったが、この映画のときには自分らしさっていうのは一切排除した。録音が終わって、その夜に沢田に会ったんです。「堯之さんどうやった音楽って」聞かれたもんで、「ごめんな最悪やった」と。録音が終わった当初はこういう会話だったんです。

 特別試写会で初めて映画を観たが、始まると「あ、いいじゃない」って思えたんだよね。そこに鳴っているのが自分の音楽じゃなかったから。つまり自分のエゴがそこに出てなかったの。それがすごく嬉しかったの。

 だって、菅原文太さんが登場してくる場面の音楽だけを聞いてても「何これ?」だし、でも画面にあっているんだよね。

 

いやぁ、まいったなぁ

 

 確かに堯之さんの「青春の蹉跌」や「雨のアムステルダム」のメロディの印象は強いが、「太陽を盗んだ男」で印象に残っているのは原爆を創ったシーン、これはボブ・マーリィの曲。

 そういえば「アフリカの光」は「日本で初めてレグエをやったんじゃないかな。本当は演歌だけども。」と堯之さんは語っていた!

 

 その後の堯之さんの映画音楽作品では、遠雷(1981年)、ダイアモンドは傷つかない(1982年)居酒屋兆治(1983年)カポネ大いに泣く(1985年)瀬降り物語(1985年)※共作者:速水清司、恋文(1985年)火宅の人(1986年)離婚しない女(1986年)といったところであるが、「青春の蹉跌」や「雨のアムステルダム」のメロディほど記憶には残らないが、映画として一般的に評価されている映画も多かった!

 

 このインタビュー記事、短いものの、今となっては貴重な堯之さんの証言となりましたね